第二百三十四話 バルデッリ家への訪問



「ここか。……こりゃまた立派な屋敷だな」
 バイスが見上げる門を、同じように隣で璋子は見上げた。
「呼び鈴の紐はこれでしょうか」
 手を伸ばし、ゆっくり引き下ろすと門の向こうの屋敷で鐘が鳴る音がした。
 しばらくすると玄関口から老翁が出てきた。璋子たちの姿を認めると、向かってくる。門の前で今一度、二人を眺めると、一礼を取った。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「はじめまして。私はタマコと申します。こちらはバイス。今日は……」そこで璋子はエルミニオから貰い受けた指輪を差し出した。「エルミニオさんのご紹介で――」
「かしこまりました」
 老翁は指輪を見るやいなや、頭を下げて門の鍵を開ける。
「え……」
「どうぞ、お入りください」
「あ、はい」
 バイスと顔を見合わせながら璋子は中に入った。二人が入ると、老翁は門の鍵を閉め、建物へ続く小道を先導する。
「こちらへ」
 慌てて後を追っていきながら、改めて、その敷地の広大さに璋子は言葉を失った。
 高い塀の向こう側にあったのは、どこまで奥行きがあるのかと思わせる重厚な建物。そしてその建物を囲むような前庭だった。よく刈り込まれた垣根は左右対称の意匠で、それでいて、そっけない感じはしない。
 玄関までたどり着くと、老翁は扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 建物の中に入ると、天井まで吹き抜けの広々とした空間があった。
 床には貝殻や硝子によって作られた、円をモチーフにしたモザイクがあり、壁には何枚もの絵画が、美しい飾り棚の上には瑞々しい花々が活けられていた。
「……美術館みたい」
 思わず璋子は口にして、周囲を感嘆の目で見渡した。
「少々お待ちください」
 老翁は奥の部屋へと向かっていく。
「指輪を見た途端に案内されたな」
「はい」
「こっちの素性も聞かないで屋敷に通すなんて、たいした指輪だ」
 しばらくすると足音が聞こえ、奥から女性が現れた。
 三十代前半だろうか。落ち着いた雰囲気で堂々と歩いてくる。大変品の良い衣服をまとっていた。
「お待たせいたしました」
「こんにちは」
「兄の――当主エルミニオの指輪を持ってこられたとか。わたくしも拝見していいかしら?」
「もちろんです」
 璋子は今一度、女性の前に指輪を見せた。
「……確かに、これは当主の指輪ですわ。まったく、バルデッリの指輪を易易と手から離すなんて、あの兄は」
 整えられた眉が思い切りひそまる様子に、璋子は身を引いた。
 これはよくない兆候だろうか。
「申し遅れました、わたくしはエルミニオの妹、トルーディです。タマコさんと、バイスさんと仰ったかしら?」
「はい」
「奥の部屋へどうぞ。アナン、お茶の用意を」
「かしこまりました」
 トルーディと名乗った女性は、璋子たちの先頭に立って、奥へと向かう。
 そのままついていった先の部屋に通され、椅子を勧められ、トルーディと向かい合う。
 玄関同様に調度品が空間を完璧なものにしており、璋子は背筋を伸ばした。粗相が許されないような気がしたからだ。
「どうぞ、おくつろぎになって」見透かしたかのようにトルーディが言った。「少なくともエルミニオ兄さんが指輪を渡したということは、あなたがたに対し、そういった堅苦しいものは無しにしろということだろうから」
「……と、言いますと」
「先ほどは指輪を簡単に手放してと言いましたけど、あれでも兄もバルデッリの当主。指輪を渡すことの意味ぐらい、わかっていないはずがないですわ。何より、兄が嫌うような輩の手に委ねるはずもない」トルーディは足を組んで、璋子に微笑んだ。「となると、自分と同じように扱えということを意味すると考えましたの」
「はあ」
 先ほどの老翁がお茶を持って、部屋の中に入ってきた。
「それで、兄の指輪を持って何の御用でしょう。まさか兄から伝言を頼まれているとも思えないのですけど」
「率直に言います。このフラーテルの執政官にお会いする方法を、お尋ねしたいのです」
 璋子の言葉にトルーディが片目を細めた。
「エカットさまに?」
「はい。エカットさんというのですか」
「会うだけで良いのかしら」
「え?」
「ただひと目、その姿を見たいということなのか、それとも執政官のエカットさまに接触したいということなのか――どちらなのかと問うているのです」
「まずはそのご様子を拝見したいです。それから、気になっていることを二・三質問させていただければと」
「そう」トルーディは茶碗を手にすると、口に運んだ。「――六日後はいかが?」
「六日後に、お会い出来るのですか」
「ええ。このバルデッリ家で宴を催すことになっておりますの。まあ恒例というか、豪商同士の持ち回りの楽しみというか、ね。エルミニオ兄さんが、一番嫌っていることだけど」
「トルーディ様、まさか……」
 老翁が背後から口を挟む。
「アナン、彼女たちを招待客の一覧に加えなさい」
「トルーディ様!」
「……よろしいんですか」
 あまりにことが進みすぎて、璋子はいささか躊躇った。
 遠慮半分と、疑い半分。
 トルーディは戸惑う二人の様子に、艶然と微笑んだ。
「正直、わたくしはあなたたちがどこの誰で、兄とどんな関係なのかは興味ありませんの。そして執政官にどんな話があるのかも。わたくしが重んじているのは、ただひとつ。バルデッリ家現当主であるエルミニオが、あなたがたに指輪を預けたこと。そして、何かことがあれば、バルデッリ家を頼れと示したこと。わたくしは、その当主の意向に従うまでですわ」
「俺たちが、エルミニオから奪ったという可能性は考えないのか?」
 バイスの問いかけにトルーディが笑う。
「まあ、そんな」
「なにかおかしなことを言ったか?」
「いいえ、今の言葉で、あなたがたが確かに兄から指輪を貰い受けたのだと、確信しました――バルデッリ家のことを、なにもご存じない様子ですもの。今や商業都市フラーテルだけでなく、ワデンにおいて最も力のある商家としてわたくしどもは在ると自負しております。そのバルデッリの当主から力づくで指輪を奪うなどと考える輩が本当にいるとすれば、ただの向こう見ずでしかありませんわ」
 トルーディの自信あふれる言葉に璋子はバイスと顔を見合わせた。
「でも、エルミニオさんからなら奪える気がします」
「え?」
「リリスで、護衛もつけずに街をうろうろしていましたし」
「…………」目の前の女性は一瞬かたまったかと思うと、おもむろに大きなため息を吐き出した。「……本当に、あれはバカ兄なのですわ」
「ト、トルーディ様」
「とはいえ奪われたとあれば、さしもの兄も何かしらの手立てを打つはず。こちらに連絡が来ていないことを考えれば、やはりあなたがたは、兄から無理強いなしに指輪を手に入れたと考えるべきでしょう……はぁ、困った兄ですこと。バルデッリの威厳をもう少し考えていただきたいものだわ」
「あ、あはは……」
「話はもとに戻しますが、宴への招待は受けてくださるのかしら? もし執政官に直接話がしたいということであるならば、絶好の機会だとわたくしは思いますわ」
「ありがとうございます。招待、謹んでおうけいたします」
 璋子はバイスと一緒に頷いた。
「わかりました。アナン、招待状を持ってきてちょうだい」
「畏まりました」
 老翁が出ていくのを眺めたのち、トルーディは言った。
「ところで、少し趣向を凝らした宴になりますの。準備を整えるのが難しいということなら、またいつでも訪ねていらっしゃい」
「……は、はあ」



「仮面舞踏会っ!?」
 戻った『青葉亭』で、サナたちに宴の話をすると、案の定、仲間からは驚きの声があがった。
「そうなの。六日後にバルデッリ家で催されるんだけど、そこに執政官が来るみたい」
「逆に俺たちとしては良かったんじゃない?」家坂が言った。「だって顔がバレたらやばいじゃん」
「そうだね」
「でも誰がそれに行くの? タマコが行くわけ?」
「え、うーん……」
 璋子が思案顔をすると、寝床に座っていたカヌエが口を開いた。
「そいつはむしろ、外で待機組にしたほうがいいんじゃないか。もし何かが起こった場合のことも考えて」
「そうね。でも、わたしは貴族とか豪商とかの中に混じってっていうのは、ちょっとなー」
 サナが渋る様子を見せる。
「ターシャさん、お願いできませんか」
「……え、わ、私?」
 話を振られて、ターシャが目を見張る。
「バルデッリ家からの援助は、宴に潜り込むことまでなんです。さすがに紹介してもらうわけにはいかないから、執政官に近寄るか、あるいは近寄らせるしかないと思ってて」
「ああ、いいんじゃねーか、その女に人目を引かせるようなきわどい服を着せれば」
 カヌエが薄く笑った。
「絶対にイヤ」
「あ? なんでだよ」
「イヤっていったらイヤ」
「別にそんな服を着なくたって、ターシャさんが正装すればひと目を引くと思うけど」璋子はカヌエに苦笑いを向ける。「それに衣服の準備で困ったことがあれば、またいらっしゃいって言ってもらえたし。今回はそれも甘えさせてもらおうかなって」
「で、相手役は誰にするんだ?」
 バイスの言葉にターシャが固まる。
「オレは絶対嫌だ」
 カヌエが言う。
「私だって願い下げだわ、あなたみたいな男」
「あっそ」
「となると、俺かキヨだな」
 ターシャの頬が赤く染まった――しかし。
「キヨノでいいんじゃない?」
 答えたのはサナだった。
「「なんでっ!?」」
 思わず家坂とターシャが同時の声を出す。
「ただの消去法よ。金髪筋肉に比べたら、まだかろうじてましっていう」
 仕方ない感じでサナが肩をすくめる。
「ひどい、サナちん! 渋々感を隠そうともしてない!」
「今さら隠す仲じゃないでしょ」
「親しき仲にも礼儀ありだよ!」
 サナの遠慮のない言葉に家坂が咽び泣く。
「そ、そういう問題でしょうか」
 璋子の隣でレンが苦笑いを浮かべる。
「でもさ、いっちゃん、今回は女装じゃないよ。ちゃんと男性の正装をしてターシャさんをエスコートするんだから。かっこいい役だと思うな」
「ううう……でも、俺、エスコートするなら星屋さんのほうが……」
「つーか、そいつが女装したほうが目を引くなら、ふたりで女の格好をすればよくないか」
「ちょっと、カヌエ、なに言ってくれちゃうわけ! 俺っち、絶対ヤだからね!」
「それだと相手役がいなくなっちゃいます。招待は男女で受けているんで、そこは守りたいです」
「ほちやさん、そこ真面目に返すとこじゃないよ! 俺っちの尊厳とか尊厳とかがあるでしょ!」
「キオはもう何度も女装してるだろ」
「そういう問題じゃないから、バイス!」
「とりあえず……キヨ兄とターシャさんでいいんじゃないでしょうか」
 とっちらかった部屋の中を見渡し、大変控えめに幼子は言うのであった。



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