里を取り巻く、不思議な気配

第二百二十話 石の守り人、ミクモ





 近くから鳥の鳴き声が聞こえた。
 あの最後に半音上がる特徴的な鳴き方は、ルルハルだろう。
 尾が目の覚めるような桃色をしたルルハルの、その尾羽根は仕留めたちがのどから手が出るほど欲しがることで知られている。
 垣根のように木々に守られた中央に、まるで花が開いたような形の巨石。そしてその巨石の上に寝そべっている青年はルルハルの声が再び聞こえないかと耳を澄ませた。
 彼の名前はミクモ。
 この、隠霧の里で育った。
 しばらくすると、ルルハルの鳴き声が少しだけ遠くに聞こえた。ミクモは微笑んだ。
 十九年前に、巨石の上に捨てられた自分は、どこの生まれで、親は誰なのかすらも知らない。自らの意識があるところから始めるとするならば、この里で田植えをする里人をあぜ道から眺めた時からだ。
里の皆に育てられ、大事にされてきた。だから里の者すべてがミクモにとって家族だ。
「あ、こら! ミクモ!」
「うん?」
「また要石(かなめいし)の上でそんなことして! 駄目だろ!」
 ひょいと顔を上げて下を覗き込むと、憤慨した顔で睨みつけてくる青年がいた。
「そうはいっても、ここに寝そべると落ち着くんだもの」
「要石に寝そべって落ち着くなんて言うのはおまえくらいだよ。いいから早く降りろってば。じっちゃんにゲンコツ食らっても知らないぞ!」
 ミクモは体を起こして胡座をかくと、あははと笑った。
「それは嫌だなあ。じっちゃんのゲンコツってば痛すぎるし」
「だったら降りてこいって言ってるんだよ」大きくため息を付きながら、弱ったように額を手のひらで支える。「もう子どもじゃないんだぞ」
「でも要石に触れていると、なんとなく石の気持ちがわかるんだよ。今日も里を守ってくれているっていう感じがさ」
「触るっていうだけなら寝そべる必要はないだろ」
「うーん、ヤエギリも言うようになったよねえ」
 そう言うと、ミクモはひょいと要石から飛び降りた。
「ところで昨晩の音、聞いたか?」
「音っていうと森の北東から聞こえたやつ?」
「そう」
「デゴロが仲間を集めていたな」
「ああ」
 デゴロはショワの森周辺に住む巨体の熊だ。
 雌が集団で狩りをする珍しい動物だが、ショワの里人もデゴロには絶対に出くわさないように、デゴロが生息している地域にはそれこそ死んでも足を踏み入れないようにしている。
「夜中に狩りだなんて珍しいと思わないか」
「よほど気に入った獲物がいたんじゃないの?」
「出産した母熊も多いだろうしな……。一体なにが命を落としたんだか」
「僕としては仕留めだといいけど」
 ミクモの言葉にヤエギリがぎょっとした表情を見せる。
「こら! またそういうことを言うなよ!」
「なんで? 勝手に森に入って、勝手に動植物を略奪していく仕留めのことを、どうして気遣う必要があるんだい?」むしろ不思議そうにミクモは首を傾げた。「ヤエギリだって、このまえホイタカが罠に仕掛けられているのを見て、逆上してたじゃないか」
「そりゃ……ホイタカだぞ! あんなに気高い鳥をあんな罠なんかにはめるなんて、外道もいいところだ」
「外道だと思っているくせに、どうして僕がデゴロに喰われてますようにっていうのは駄目なの?」
「それは……おまえが、さらっと言うから」
「重々しく言えばいいの? 言っていることにかわりは無いのに?」
「そ、それは、だから……」
「僕にはそういう感覚ってまるでないや。ねえ、ヤエギリ、僕って無慈悲なのかなあ?」
「は、はあ? 無慈悲ってそんなことないと思うけど……」
 困惑した表情を浮かべる友人にミクモはへらりと笑うと、里に向かって歩き出した。



 ショワに向かって歩き出していた璋子たち一行は、常に周囲にある霧に手こずっていた。以前はショワを避けていたので、それほど霧に見舞われなかったのだが、今回は目指していることもあり、足を進めるごとに真っ白な霧が行く手を阻む。
「う〜、服がびっしょり」
「サナちん、大丈夫?」
「駄目。キヨノは大丈夫?」
「駄目」
「ミモのふかふかの毛もぐっしょりです……」
 ミモザの背に乗ったレンは心配そうに手で毛を撫でる。
「タマコ、方向としてはこっちで合ってるの?」
「はい。何か不思議な気配がするんです」
「その不思議な気配ってのは危なくないのか?」
 先頭を歩くバイスが尋ねる。
「ひとまず大丈夫だと思うぞ」璋子のかわりにカヌエが答えた。「俺にもその気配がなんとなくだがわかる」
「……はあ」
「どうかした、タマコ?」
 ため息を聞きつけたのかターシャが霧の向こうから声をかける。
「あ、いえ……。森に入る前にヤットを厳重に油紙に包んでおいてよかったなと思って」
「この霧じゃ、すぐに傷んでしまうものね」
「はい。里に到着するまで食料が持つといいんですが」
「星屋、今日はここまでにしておいたほうがいいんじゃないか」
 喜音の言葉に璋子は立ち止まった。
「そうだね。今日はここで野宿にしよう」
 周囲はすべてが濡れそぼっているため、火をおこすことが出来ず、璋子たちは水とヤットと干し肉をそれぞれが食べて、寝床の準備をすることにした。
 カヌエが探してきてくれたバルバルの葉に近い葉を何枚か敷くと、濡れた地面に横たわらずに済んだ。
 璋子はチトンの杖を地面にさして、マームルの誓術で灯りをともす。薄暗くなっていく中、皆がはぐれないようにするためだ。
 それからヤモリの杖を手にすると、革袋を持って小川を探しに出かけた。
「温泉に入りたいなあ……」
『すでに濡れそぼっているのに、湯に浸かりたいとは妙なことを言う』
 スロウの声が聞こえた。
「霧と温泉じゃ違いすぎるよ。身体が冷えちゃって、風邪を引かないようにしなくちゃだし」
『身体を熱くしたいのならグンゴルの実でも食せばいいではないか』
「グンゴルの実?」
 初めて聞く名前だった。
『そうだ。口に入れれば胃の腑が焼けただれるくらい、熱さを感じさせる実だ』
「うん、それ風邪になるよりまずいでしょ」
『どちらかを選ぶと良い』
「どっちもイヤです」
 もう! と言いながら璋子は小川の流れを耳にすると足を速めた。
 飲水として革袋いっぱいに水をいれると、腰に結んで元来た道を引き返す。うっかりすると違う場所へ行ってしまいそうになるくらい霧が濃くなってきていた。
「霧っていえばコーラルも以前、霧が覆われていたね」
『あれは百年蛾によるものゆえ、こことは違うぞえ、タマコや』
「ショワはずっと霧が晴れないんですよね」
『ずっと、というわけではない。我らがハーナといたころはショワという里は存在しなかった』
「そうなんだ……」
 となると五ツ月の影響による何かなのだろうか。
(神さまの力がこの世界にどんな形で及ぼすのか、一様でないから見極めが難しいんだよね……)
「……ん?」
 ふと璋子は霧の中で動く影を見つけた。獣だろうかと一瞬動きを止めるが、よくみると、しゃがみこんでいる喜音の姿だった。
「喜音くん、どうかしたの?」
 璋子が近寄ると、喜音は腰をあげる。
「ああ、お前か」
 その手に何かが拾われていた。
「それ……木の実?」
「ナツカドの実だ。熱中症に効くと、このまえ本で読んだんだが、落ちているのが見えてな」すぐ真横に生えている木を指さした。「そう滅多に見つからない木らしいぞ」
「そうなの?」璋子は目を見開くと、ナツカドの木を見上げてから頭を下げた。「えっと、ありがとうございます」
『タマコや、木なぞに頭を下げて何をしているんだえ?』
「え? いやだって、滅多に見つけられない木なのに、ここで見つけて、しかも木の実を拾わせてもらったから……お礼、言っておこうかなって」
「俺もさっき拾うときに、もらいますと言った」
「ひょっとしてソケさんたちから聞いたことを思い出した?」
「まあ、そんなところだな」
『まったく生真面目なものだえ』
『あなたが少し適当すぎるのではないですか』
『おや、珍しく口を挟んできたじゃないかえ、ヒンドラー』
 マームルが嫌味ったらしく言い放つと、すぐにヒンドラーの気配が消える。
「ところで水を汲みにいっていたのか。一人で行動するなとフッサル砂漠で言わなかったか」
「うっ。あ、でもほら、一人っていうか、もうたくさん誓霊たちがいるし……」
「そういう問題じゃない。こういうのは習慣なんだぞ」
『アサハルや。習慣だというのなら、もはやお前の小言は時すでに遅しかもしれぬぞ』
「……そうかもな」
 小さくため息をついてから喜音は璋子が下げていた革袋を手にとった。
「あ、喜音くん、大丈夫だよ! 自分で持つから……」
「霧の中で蹴躓いて、もう一度水を汲みに行くなんて嫌だろ」歩き出した喜音がわずかに振り返り、璋子に手を差し出す。「ほら、行くぞ」
「う、うん」
 その手を握り返し、璋子も歩き出す。
(……なんだろう、今まで何度か手を繋いだことはあるんだけど……微妙に恥ずかしい)
 無言で歩く喜音をちらりと見上げた。
「なに?」
「えっ? べ、別に……」
「ふーん」
「……喜音くん、方角はこっちで合ってるの? 霧が深いから気をつけないと」
「迷うって?」喜音が足を止め、璋子を見下ろした。「それとも俺が、霧に紛れてお前をどっかに連れて行こうとしてるって思ってる?」
「そんなこと思ってないよ!」
「あ、そう」
「またそうやってすぐにからかおうとしてるけど、私だって簡単には騙され――」
 言いかけた璋子は喜音の腕に引っ張られ、傍の木に背中を押し付けられていた。
 驚いて見上げると喜音は真顔だった。
「き、喜音く……?」
 唇に指先が触れる。
「喋るな」
「…………」
 どうしていいかわからず動こうとすると、腰に腕が回され引き寄せられた。
 喜音の胸に顔を押し付ける形になり、璋子の思考はますます困惑する。
(い、一体これは……どういうこと? つまりその……気持ちを確かめ合った二人だから起きている展開なの? それともからかっているだけ?)
 ああもう全然わからない!
 と璋子が内心で声の限りに叫んでいると、頭の中にシトロンの声が響いた。
『ようよう、月喰い、こういうときは流れに抗っちゃいけないぜ』
(余計混乱するから話しかけてこないでくれますっ?)
 それに抗わなかったらどうなるのかが怖い気がするのだが、と思いつつも意を決し、璋子は喜音の背中に手を回そうとした。
 しかし、するりと喜音の身体は離れ、先ほどと同じように真顔のまま囁いた。
「聞こえるか?」
「へっ?」
「音がする。俺たちが野宿しようとしていた方角じゃないな。獣かもしれない」
「…………」
「念のために様子を見て――」そこで喜音は言葉を切った。「星屋、顔が赤くないか?」
「…………気にしないで。穴があったら入りたいって思ってるだけだから」
 璋子は喜音の腕から抜け出ると、杖を握りしめた。
 今すぐにこの勘違いな自分の頭を思い切り杖で殴りたい!
「私も行く。もし獣が凶暴化していたら喜音くん一人じゃ危ないもの」
 振り返った璋子に喜音が頷く。
「俺の後からこい。……それと」どこかいじわるげに喜音が微笑んだ。「ご期待に添えなかったが悪く思うなよ」
「!」
 再び顔に熱が集中するのを璋子は感じながら、無言のまま喜音に向かって杖を大きくスウィングした。



 霧の中、慎重に進んでいくと物音は複数しており、しかも言葉を喋っていることに璋子たちは気がついた。
「……人だね」
「旅人か、それとも……」喜音が目を細める。「なんだ、この奇妙な臭いは」
 ねっとりとしてまとわりつくような、甘ったるい臭いに璋子も眉をひそめた。
 微かに羽ばたく何かの音がしたかと思うと、甲高い鳴き声が響く。途端に、複数の足音が近づいてきた。
「掛かったぞ!」
「殺す前に尾羽根を抜け!」
「急げ!」
「……喜音くん」
「仕留めのようだな」
 喜音が剣を抜き、璋子は杖を構えた。
「風で霧を一瞬吹き飛ばすわ」
「頼むぞ」
 璋子は立ち上がり、小声でカントを呼び出すと、一気に声のする中央へと風を叩きつける。その霧が道を開けるように分かたれた中から仕留めたちが現れた。
「な、なんだ?」
 突然の風に驚く男たちの上から喜音が地面へ着地し、同時に片足を軸にして身体を回転させる。足を掬われて男たちが一斉に転ぶ。
 再び甲高い鳴き声が聞こえる。
「スロウ、仕留めはなにを捕獲しようとしているの」
『この声はルルハルという鳥だろう。尾羽根を求めて群がる仕留めが多い』
「尾羽根?」
『生きている時だけ鮮やかな桃色をしていて、死んでしまうと途端に色が抜けてしまう鳥だえ、タマコ。だからあやつらは生きたままルルハルから尾羽根を抜こうとしているんだえ』
「……酷い」
『ルルハルを逃さなければならんよ、タマコ。尾羽根を抜かれるとルルハルは死んでしまうからね』
「わかったわ」
「貴様あ!」
 仕留めの一人が喜音に向かっていく。
「風よ、彼の者が踏みしめる地から吹き上がれ。お前の天を目指せ。高くうち上がれ!」
「う、ぎゃああっ?」
 風に巻き上げられて打ち上がる男の足元に、鳥の姿が見えた。
 脚に罠が絡みついている。璋子は目を瞑った。
「……無数なる剣たちよ、寄り集まれ。剣よ大きくなれ」
 上空に現れたマームルの光の剣が一箇所に収束され、形を大きくしていく。
(……カウテース・レーギアでかつてレ・オーンと対峙したときと、違う)
 マームルの術を変形して行使することが困難だったことが嘘のように、璋子はその両手でかき集めるようにして剣を束ねられる感覚があった。
 誓霊を集めていくこと。
 それらがもたらすものは計り知れない。
「マームル、罠を打ち砕いて!」
 杖を振り下ろすと同時に光の剣はルルハルを捉える罠に当たった。
 自由になったルルハルがひときわ高く鳴く。
「罠が……! 捕まえろ!」
 慌てふためく仕留めたちを喜音が一人一人と地面に倒していく。
「風よ、お前は見えない鎖となりて彼のものを縛る。捕えよ、柔らかな檻となれ!」
 男たちに向かってカントの捕縛を璋子が施していくと、自由に身体を動かすことができなくなった仕留めたちの顔に苦痛が広がる。
「な、なんだ、これ! 動かないぞ!」
「月恨術か!」
 最後の一人を捕縛し終えると、喜音は泥を払って振り返った。
「大丈夫か?」
「私は大丈夫。喜音くんも平気そうだね」
「まあな」
「くっ……おまえたち、あれは俺たちの獲物だ! 横取りするとは卑怯だぞ!」
 仕留めの一人が璋子たちを睨みつける。
「横取りもなにもルルハルを逃がすつもりでやったんですけど」
「なに……」
「馬鹿な、あの尾羽根がどれだけの金額で換金できると思ってる!」
「お金はあるに越したことはないですけど、ルルハルを殺してまで得るものではないかと」
「ふ……馬鹿め。俺たちを捕縛して良い気取りのようだがな、貴様だって月恨術をこの森で使った報いは受けるぞ!」
「彼女の使った術は、月恨術なんていうおぞましいものではないよ」
 霧の向こうから声が聞こえると、喜音は璋子を背後に押しやり身構える。
 ふつ、と霧から現れたのは二十代前後の青年。柔らかな笑みを湛え、その腕の中にルルハルがおとなしく抱かれていた。
「あ! 貴様、それは俺たちの!」
「ルルハルは誰のものでもないよ。ルルハルだけじゃない。この森の全てにおいて、所有されるべきものなんて存在しないんだ」
「……お前は、誰だ」
 喜音の言葉に青年は璋子たちを見ると、にっこり微笑んだ。
「僕? 名前を聞いているなら、僕はミクモ。この先にあるショワに住む者だよ」





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