それはどんな香りで、どんな色で、どんな形で
私の心に咲くのだろう

第百七十六話 萌芽



「くぅぅぅ、肩凝った……」
 璋子(たまこ)は唸りながら背を伸ばすと、片手で肩を叩く。目元を摘んで「あー」とオヤジのような声を出してから手元に広がった布を見下ろした。
「あと半分……ってところかな」
『なかなか手仕事が早いな』
「スロウ」白兎は顕れると、璋子が先日から取り掛かっている針仕事を見た。「まあね……だってなるべく早く仕上げないと、カヌエさん、あの外套じゃ外暑いでしょ」
 針仕事は他でもない、五ツ月から降り注ぐハーナの力に極端に弱いカヌエのためのものだった。カヌエが着込んでいる外套はサクの村から持参した魔力が篭ったもので、月恨の力をある程度弾いてくれる代物であったが、今の季節に着こむにはあまりにも地厚だった。
 カヌエは月恨で苦しむよりは遥かにましであることを十分承知しているため、皺をいつもより深く刻むだけで文句の一つも言わないが、傍から見ている者たちにとっても目の地獄であることに変わりはなく。
 璋子と喜音は、カヌエの事情を知っているため「暑苦しい」と思うものの、言葉にしない。しかしサナたちは違う。
 口論が激しくなりかねないことを危惧し、璋子がトゥルネに相談したところ、『それならばお前が誓術の力を込めた糸で衣服を縫ってやればいい』と回答を得た。そうとなれば行動は迅速に起こすべし。なるべく薄手の風通しが良い布を選ぶと、力を込めた糸で刺繍を施し始めたのである。
「刺繍ってことは……やっぱり名前? カヌエ?」
 喜音に相談すると怜悧な青年は鼻で笑い、「そりゃ楽しいな。いっそカヌたんでいいんじゃないか」と返してきた。
 散々悩んだ末に雨林に生えていた植物をスケッチしたものを図案化し、せっせと縫い始めたのだが……。
「あら刺繍?」
「ターシャさん」
 振り返るとターシャが刺繍を覗きこんでいた。
「へえ、素敵な図案ねぇ。自分用?」
「有難うございます、えっと、これはカヌエさんにです」
「……」
 ターシャの目が細まる。
 なんであいつに? という表情だった。
「カヌエさん、月恨に弱いから誓術で魔力を込めた糸で縫ってるんです」
「ああ、なるほど。それにしても月喰いの貴女以上に月恨に鋭敏っていうのも、不思議よね」
「……繊細なんじゃないですかねぇ。ほら、私って図太いですし」
「繊細? あれが?」
「あははは……」
「それにしても部屋でずっと針仕事をしていたら疲れちゃうわよ。適度に止めて、身体を動かしたほうがいいわ」
「ですね」
「そういえばサナは?」
「さっきまで外に出かけてましたけど、部屋に戻ってると思います。『ふんふん物語』の五巻目を今日は読み終えるんだって」
 ターシャの目がきらりと光った。
「五巻目はいいのよ。王子が倒れた姫を看病する場面があるんだけど、それがもう不器用で……」
「いっちゃんも楽しんでいるみたいなんで、良ければ一緒に盛り上がってやってください」
「あのほにゃほにゃした子ね」
 璋子はその完璧な表現に突っ込むことはせず、ターシャがサナか家坂を探して部屋を出て行くのを見届ける。
(うん。ちょっとずつだけど距離は縮まっているのかな)
 しかし今日も天気は良さそうだ。
「……確かに部屋の中にいつづけるのは勿体無い気がする」
 扉が叩かれ、同時に頭が隙間から覗く。
「星屋」
「喜音君、どうかした?」
「昨日ヤットの粉が無くなりそうだって言ってたよな。今から出るから、ついでに買ってこようか」
「お買い物にいくの?」
「ああ。本を買いに行く」
 璋子は手元の針を針山に押し込めると立ちあがった。
「一緒に行ってもいい?」



 「ラコンタ書店」と書かれた古看板を店先に掛けた店に入った二人は、それぞれ棚を眺めていった。璋子は店頭のすぐ脇に平積みにされている『ふんふん物語』を見つけると一冊を手にとった。
「……本当に人気なんだ」
 糞転がしの姫との恋愛……と呟いている隣から本は一冊、また一冊と手に取られていく。皆、女性だった。
「どうかしたか」
「ううん。本、いいの見つかった?」
「前から気に入っている作家がいて――」
 喜音の視線が璋子の手元に落ちる。慌ててそれを平積みに戻した。
「買わないよ」
「知ってる」喜音が笑う。「お前、恋愛小説は読まないタイプだろ」
「え、なんでそう思うの」
「読んでキャッキャしている姿がまるで想像つかない」
「うっ……」
 図星だが、それもどうなのだろう。
 これでも青春街道をきらめくように駆け抜けていいはずの十八歳なのだが。
「諦めるんだな」
「その絶妙な合いの手やめてくれないっ?」
 笑いながら本屋の奥に買いに行く姿を見送り、璋子はため息を吐いた。
(恋かぁ……)
 本屋での用事が済むと二人は適当に歩きながら、屋台で売っている飲み物とお菓子を買った。
 砂糖と煮込んだタナンを炭酸と一緒に混ぜた飲み物は暑い午後にぴったりだったし、カムースという名の揚げ菓子はちょっぴり塩がまぶしてあって、いくつでも食べられそうだった。
 カリポリと音を立てながら食べていると璋子たちは坂の下に辿り着いた。
「ん?」
 騒ぎ声が聞こえ、見上げる。
 坂の両端に人が並んでいて、坂を下ってくる男女に向かって花を投げる者と、両端で色とりどりの布を持ってアーチを作っている者とに分かれていた。
「わああ、もしかして結婚式?」
「みたいだな」
 花嫁が籠から何かを掴むと一斉に投げ始める。
 歓声があがり子どもたちが群がった。小さな花束のようだが、どうやら一緒に飴菓子がついているようだ。さっそく紙を破いてしゃぶりだす子もいれば、せっせと道から飴菓子を探す子など、様々だ。
 どうやら子どもだけでなく大人も拾っていいものなのか、花嫁花婿が通り抜けたあとは、自分たちも参戦とばかりに花嫁が投げるものを取ろうとしている。
 璋子は晴れやかな光景を見て、呟いた。
「レンくんも心から愛した人と一緒に人生を歩める権利があると思う。私はその未来をレンくんの手の中に残してあげたい」
「お前、背負いすぎるなよ」
「え」
「背負いすぎて押しつぶされ、動けなくなって、チビを救えず、自分も死にました。そんな結末は望んでないだろ?」
「もちろんだよ……」
「それに本当の意味では背負えない。俺たちは、自分の荷物は自分でしか持てない。確かにお前はチビを救える存在かもしれないけど、チビの荷物までは背負えない。どんなに苦しんで辛くても、あいつの肩代わりはしてやれない」
「……」
 璋子は顔を上げた。
 喜音はまっすぐに自分を見ていた。
「人を気遣うなと言っているわけじゃない。お前が何事かを果たそうとしていることは知ってる」喜音は小さく笑った。「でも頼むから、万能や聖人なんて目指すなよ? 万能はハーナ神にまかせておけばいいし、聖人はワデンのどっかにお住まいのセイントさんにでも託しておけ」
「セ、セイントさんっ?」
 思わず璋子は噴き出した。
「そうだよ」
 喜音は坂に散らばった花びらや割れた飴菓子の中から、飴菓子だけ抜き取られた花束を拾い上げた。
 くるくると手の中で回し、璋子に差し出す。
「ほら」
「え?」
「飴は子どもが持っていったみたいだが花は踏まれて無くて綺麗なままだ」
「くれるの?」
「俺が持っててどうするんだ」
「……あ、有難う」璋子は頬を赤らめながら受け取った。「でも喜音くんは、十分万能に見えるんだけど」
「俺か? そんなわけないだろ」
「少なくともあっちに居た時から今までで、そう感じなかったことはないよ。サバイバル向いてるなあって」
 喜音の横顔が笑った。
「そうか? むしろSurvivor(へこたれない子)はお前だと思うが」
「えぇっ」
 喜音の言葉に璋子は驚いた。
 ワデンに召喚されてから、喜音にはいつだって助けられてきた。シーシアに滞在していた時から頼りにしていた節はあるが、決定的だったのはやはり地下迷宮に落ちた以来だろう。
 時に甘さを指摘され、厳しいことを言われたこともある。けれどその言葉は耳を傾け、自分に再度問いなおすだけの何かが璋子の心にあった。
 ――信頼、のようなものだ。
 今後も背負ったものを自分で「選択」していく機会は何度もあるだろう。
 その重責を決定するときも、喜音が背後にいてくれるという心強さは自分を支えてくれるような気がした。
 それがどんなに勇気を持たせてくれているか、璋子には伝える術は無かった。それに、言葉にすれば仰々しいものになってしまうだろう。
「どうかしたか?」
「……ううん」
 璋子の胸の内を温かなものが通りすぎていく。
 それは消え去ったあとも仄かな名残を留めており、無意識のうちに璋子は首筋に手を当てていた。
(アクイーラでされたときより、雨林で頚にされた時のほうが、どうしていいか分からなかったな……。アクイーラの時は一瞬だったけど――)
 雨林は一瞬じゃなかった――
「……っ」
 璋子は首筋から真っ赤に血が逆流していくのを感じた。
(よ、よく考えれば、私たち何気にものすごい恥ずかしいことを……あ、あれ。な、なんで今思い出しちゃったんだろっ?)
 うわああああ。
 ……うわあああああっ!
 思い出消去! 映像ストップ! 全停止! と内心でパニックになり、慌てて花束に顔を伏せた。こんな真っ赤な顔を喜音に見られたら、何を突っ込まれるか分からない。
 急に喜音とのことが恥ずかしくなり、その動揺はどうしようもなくなっていた。さっきまで普通だったというのに。
 お互い、あのことがあった次の日だって平気だったはずなのに。
「――花に顔を埋めたままで、お前は何がしたいんだ」
「!」
 近くで喜音の声がした。
 心臓がバクバクして、うまく声が出なかった。
「あ、いや、その……いい香りだなぁって」
「ふぅん」
「!」
 喜音が璋子の真っ赤(であろう)耳に触れた。
 ああ、風に……風になりたい。
「で、いい香りのあまり、耳を真っ赤にしてるわけ?」
「そ、そう……な、なんだろね、興奮物質でもあるのかなっ」
「ふぅん」
「!」
 顔を持ち上げられ、真っ赤になったままの璋子の顔が喜音の顔と出くわした。
「お前……鼻に花粉ついてるぞ」
「蜜蜂にでもなろうかと……」
「ふっ、なんだそれ」
 喜音が笑い、鼻先を指が拭う。
「……っ」
 ――笑わないで欲しい。
 喜音はいつもの意地悪な顔をしてくれればいいのに。
 そうしたら自分が怒って、話は終わるはずだ。
 ――そんな優しい顔で、笑わないで欲しい。
 どうしていいかわからないでいる自分を、分かっているような顔をしないで欲しい。
(変だ……私、なにかとっても、変だ)
 苦しいのに手放したくない。
 時折言いようのない甘さに身を包まれる。
 とても、やっかいなもの。
 一度ほころべば、あとはゆっくり咲いていくばかりのもの。
 それが、璋子の心のなかに――今。



HOME | NEXT