声無きエール
第百六十六話 聞こえる



 ターシャが気がついたのは、倒れて正味五分も経過していないくらいだろうか。
 ゆらゆら揺られながら目を覚ますと、そこはバイスの背中だった。
 彼に負ぶわれていたのだ。
「!」
「気づいたか」
「なん……で」
「貧血だろうな。急に倒れるから吃驚したぞ」
「ご、ごめんなさい、降りるわ」
「いいから」動いたターシャを負ぶい直し、快活にバイスは笑った。「そのまま負ぶわれてろ。急に動くとまた倒れるぞ」
「……でも重いわ」
「ま、子どもの時よりはな」
「あ、あのころと比べないでよ!」
 ターシャの非難めいた声にバイスは笑う。
「なぁ、ターシャ。お前はシーシアに戻れ」
「!」
「ナラに無事な姿を見せてやれ」
「……どうして、そんなこというの」
「どうしてって言われてもなぁ。だってお前がタマコの旅に同行する理由なんて無いだろう?」
 ターシャの心がかっとなった。
「月喰いの旅に同行する訳じゃない……、私は、……私は貴方と離れたくないと言ったの!」
 言った。
 とうとうはっきり言った。
 微妙な沈黙の後、バイスが口を開いた。
「俺の心配ならしなくていい。確かにお前と吊り橋でやりあったときは負けたけど。俺は死なないぞ」
「……だからっ!」
 全然伝わってなかった。
「タマコたちを無事元の世界に戻して俺はシーシアに戻る。村長するって決めてるからな。だから死なない。心配しなくて良いんだ」
「――嫌」振り絞るようにターシャは呟くと、バイスの頸にしがみついた。「嫌よ」
「だが」
「嫌! ……私がどうするかは私が決める。何でバイスはそこまでして私をシーシアに戻そうとするの!」
「大事なシーシアの村娘だからだ。お前の帰りを心待ちにしている人もいる」
「それは貴方だって同じことよ。フレスコ村長も、村の皆も貴方の帰りを待ってる! 私が帰るときは、バイスも一緒に帰るときよっ!」
「聞き分けてくれ」
「嫌だっていってんのよ!」
 ターシャは思い切りバイスの頸を絞める。
「ぐえっ! ちょ、ターシャ、くるし、ぐっ!」
 そうこうしているうちに雨林を抜けて浜辺にやってきた。ターシャが顔を上げると船が一艘停泊している。
 狭い甲板に何度も見た姿を認めた。
 それから――
「お帰りなさい、バイスさん」
「戻ったぞ、タマコ。お前の言うとおりだった。雨林の中で見つけた」
 璋子(たまこ)だけ砂浜に残り、二人をにこにこと見ていた。
「……月喰い」
 ターシャはバイスの背中から降りると、少女を見やった。
 甲板で様子を見ていたサナや家坂、レンの気配が僅かに緊張する。
「タマコ、聞いてくれ。ターシャが一緒に行くといって聞かないんだ」
「シーシアに戻らないのですか?」まるでそんなことは知っていたような顔をしながら、璋子がターシャに問うた。「一緒にというのは、この旅に同行したいということですか」
「……ええ」
「駄目よ、タマコ! こればっかりは言わせてもらうわ、ぜぇぇったいに駄目っ!」
 サナがすかさず身体を乗り出して叫ぶ。その隣で家坂もぶんぶん頸をふっている。
「星屋さん、いくら君が悲しいくらいお人好しでもね! 自分の命これ以上晒すようなことはしないよねっ? ねっ!」
「隙あらば私を殺し、レン君を連れ去るつもりですか」
 璋子の言葉にターシャだけでなく、隣にいたバイスも瞠目する。
 あまりにも明け透けな質問だった。
 案の定、家坂の「ぐっ!」と喉に詰まった変な声が聞こえた。
「しないけど、その証拠はどこにもないわね」
「ターシャ、お前……」
「月喰い、貴女は大神官アービュ様を知らない。あの方は、要らないと思えば何だって切り捨てる。手に入れようとすれば何だって手に入れる。彼の願いはいつだって叶う」
「……」
「私が殺すかどうかを気にするより、アービュ様が今後どう出るかが大事だと思うわ」
「あんた」サナが固い声を出した。「よくもそんなことをいう口で、一緒に行きたいだなんて言えたものね」
「本当のことを言ったまでよ」
「?」
「アービュ様が成そうとしていることは絶対に実現される。多少の変更なんてものともしない。私が失敗したことだって、いずれ誰かが月喰いを殺すかどうかしてヌハを連行する。――アービュ様が望む限り」
「……」
「なら、お前が再び大神官の命令を遂行する可能性もある」
 喜音が静かな声で割り込んだ。
 ターシャはじろりと喜音を見た後、「しないわよ」と言った。
「なんでかって? アービュ様は拾って使うことはあっても、切って捨てたものを拾うことはないからよ」
「なんで断言できるのよ。手駒は居たほうがいいでしょ」
 サナの言葉にターシャは肩をすくめた。
「私程度の人間なら替えはいくらでも利く。そうせずにはいられない気持ちに人々がさせられるから。それがアービュ様の資質。そして私はさらに命を救ってもらった恩があった」
「そうせずにはいられない? ……人を殺すことでさえ?」
 家坂が頬を引き攣らせ、怒りを滲ませた。
「歴史は、人々の集団を先導する圧倒的な資質を持った者が生みだし、壊し、融合するもの。アービュ様は歴史をつくる側なのよ」
「……」
「今の回答だと、仲間は旅の同行を増々嫌がるでしょうね」璋子の言葉にターシャは視線を少女に向ける。「貴女が大神官に未だに心酔しているとも取れる言動ばかりです」
「そうでしょうね」
「ターシャ」
「?」
「お前は、俺と一緒に帰りたいと言っていたな」
「……ええ」
 口を開いたバイスにターシャが怪訝な表情を浮かべる。
「だが俺がシーシアに戻るときは、すなわちタマコたち三人が元いた世界に戻るときだ。もう何かに追われることなく、戦闘することもない――、それを見届けることが出来たときだ。そう決めている」
「金髪馬鹿――」
「なのに、お前が旅に同行することで、タマコたち三人の命が脅かされるようなことがあっては俺はどう償っていいか判らん。ターシャ、どうしても同行したいと言うのなら、俺はお前に宣言しなくちゃならない」
 まっすぐに見つめられ、ターシャは唇を引き結んだ。
「もしもタマコを殺すような動きを見せたら、俺はお前を生かしてはおかない」
「……え?」
「俺と一緒に帰りたいというお前の気持ちは、雨林で話したときに判った。だが、お前がタマコを再び狙うというなら、俺はお前とシーシアには戻れない」
「私を……殺すから?」
「そうだ。村長を継ぐ者としても、お前を野放しには出来ない」
「……」
 じっと見つめ合った二人を璋子は言葉もなく見上げた。
「さっき、私は、あなたとシーシアに一緒に戻りたいって……言ったわ」
 ターシャの声が震えた。
「その思いが嘘じゃないことは分かる。だが、俺の先祖を命がけで守ってくれた月喰いによって、この命が繋がっていることを忘れるような男に、村長なんて出来るはずがないだろ」
 璋子を見捨て、五ツ月が昇っていくのを眺め、この一年が過ぎた後、ああ忌み年を無事に過ごせて良かったと――。
 村の中にいて思うことは出来るか。
 出来るわけがない。
「だから、お前がタマコを殺そうとするなら、俺はお前を全力で阻止する。お前が強いことは知っているが、だがお前には負けない」
「……なぜ?」
「お前の守ろうとするものが大神官の「命令」なら、俺が守りたいのは「シーシア」であり、「異世界からやってきた三人の友人」だ。守りたいもののでかさが違うんだよ」
「!」
 緊張が空気の中を走る。
 璋子は哀しくなった。殺すだの殺されるだの、そんな言葉は放たれていいものではない。そしてバイスとターシャにそんなことをさせるわけにもいかない。
 地面に視線を落とした後、ゆっくり口を開いた。
「それがバイスさんの覚悟だとしても大丈夫です。私はそう簡単に殺されたりしません」
「……タマコ」
「レン君を守ると決めたし、それに――」船を仰いで、喜音を見た。「一緒に還ると約束をしました」
 微かに笑みを浮かべたクラスメイトに璋子は笑った。
 そうだ。どんなに怖い思いがあったって、希望はずっと持ち続けるんだ。
 生きているのだから。
 私たちは生きているのだから。
「……で、どーすんだ?」
 船の上から新たな声が聞こえた。
 皆が振り返るとカヌエがぶすっとした顔で立っていた。
「連れて行くのか? 行かないのか? 決定権はそいつにあるだろ」
 璋子を見ていた。
「……」
 ターシャと見つめ合うも数秒。
 璋子の心は決まっていた。
「ターシャさん」
「……」
「貴女の本当の願い」
「!」
「……それを手にするために旅についてくるのですか」
 本当の願い? と首をかしげるバイスを背後からサナが勢いよく頭を叩いた。
 良いからお前は黙っとれと言いたいのだろう。
 薄らと頬が赤くなったターシャはしかし璋子に苦く笑みを浮かべた。
「……見てのとおりよ」
「!」
 璋子の目が見開かれる。
「すべてを信用してもらえるなんて、これっぽっちも思ってない」
 それでも一緒に――。
「わかりました」璋子は船の方に身体を向けると、手を差し伸べた喜音の手につかまり、乗り込んだ。「さあ、バイスさん、ターシャさん。行きますよ」



 櫓をバイスと喜音が漕ぐ海の上。
 帆を張った船が風を受けて徐々に滑るように動き出す。璋子はじっとオミクレー雨林を見つめた。
 雨と不思議と闇を包み込む森。
 そして――
「カウテース・レーギア……」
「……星屋さん」
「ん? どうしたの、いっちゃん」隣にやってきたクラスメイトを見上げると、青年は少しだけ顔色が悪かった。「あれ、船酔い? もうすでに?」
「違うってばぁ、もぉぉぉ。そうじゃないよ……カヌエもターシャちゃんも……本当にいいの? 俺は全然よくないよ」
「といっても船はもう動いちゃってるよ」
 くすりと笑った少女に対し、家坂は視線を波に向ける。
「だって嫌なんだよ。……お人よしの君が気持ちを逆手に取られて、どこかで傷つくのが。人は……利用するモノだって思ってる人間だっているんだよ」
「なんだか私が傷つく予定があるみたいだね」
「あるでしょ。どうしたって」
「……」
「レンや君への追手が本格化すれば、誰も傷つかないなんてことは無いでしょ。そんで、君は誰かが傷つけば悲しむんだ。自分が傷つけばよかったのにって、きっと思う。違う?」
「違わないよ」
「……」
「それもひっくるめて……私は歩くって決めたんだよ。そんなの平気なんて思えないから、泣きながら歩くかもしれない」
「……嫌だよ、そんなの」
「でもいっちゃん。私が歩いた先に望むものは、それだけ奇跡に近いことだよ。泣きながら歩いたとしても辿り着ける可能性があるなら、それをやっぱり選ぶよ」
「……」
 家坂は璋子の手を握った。
 緩く、そしてぎゅっと強く。
「俺はとても頼りないけど……喜音なんかより全然、駄目だけど……でも、いるからね」
「うん」
「忘れないでね」
「うん。その言葉はそっくりいっちゃんにも返すよ」
「え?」
「私は手一杯になっちゃうことあるけど、何かあればいつでも言ってね。私も喜音君も、いっちゃんは一緒の世界からやってきた、大事な仲間なんだよ」
「ええええ、喜音は違うと思う」
「そんなことないよ。ああ見えて、一番面倒見がいい人なんじゃないかな」
「……そうだね」
 家坂は目を瞑り、潮風を吸い込む。
 ――ふと、高い高い音が聞こえた。
 ガタン!
 大きな音がして璋子が目を向けると、レンが立ち上がっていた。顔色を変えて辺りを見わたし、船の後方へと慌てふためくように走っていく。
「レン君?」
 カヌエが顔を島に向け、唇を曲げた。
「カラ笛か。良い音だ。……もう大人だな」



 レンはすでに小さくなりつつある島を見た。
 微かに……本当に微かだけれど、何度も聞いた音が耳に断続的に滑り込んでくる。今まで聞いた、どの音よりも高く正確に響いてくる。
「……イシカ」
 目の前がぼやけた。
 見えないだろうけれど、両手を上げて大きくふるった。
「イシカっっっっ!」
 また会おうね。
 絶対会おうね。
 さよならじゃないよ……これは絶対にさよならじゃないよ。
 レンの頬を涙が伝った。
 それに応えるように、カラ笛は潮風に乗って、まるで船を押すようにいつまでも聞こえてきた。



 嗚呼。
 地球に居るだろう、父と母、そして私の煩くも愛しい四人の弟たち。
 お姉ちゃんはRPGでいうところの、勇者、仲間を増やして次の都へ〜個性的すぎる仲間たちだよ、楽シイナ?〜までやってきました。
 次回は順調にいけば水鏡の都リリスに上陸です。
 ええ、順調にいけば。
 そこには地獄屋さんからの情報ですでにセギュランテの杖を所持している執政官さんの話も聞いているし、鉄食も開催されるんですって。
 うおおおおお!
 一年間の食材!
 ……じゃなくてセギュランテの杖!
 え? 本音がダダ漏れ? 嫌だなぁ、そんなことあるわけないじゃない。でもお姉ちゃん、何としてでも優勝して、セギュランテの杖をゲットしたいと思います。
 場合によっては一年間の食材も……何とか……ね★



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