お前が来たときのこと、思い出す
第百四十二話 無愛想な子



 キリキリの森で子どもが置き去りにされたらしい――
 大人たちがそう囁きあっているのをバイスが耳に挟んだのは、子どもが発見された翌朝だった。
「父さん、子どもが森にいたって本当?」
 バイスがリュンに尋ねると、囲炉裏でフレスコと話していた父親は顔を上げ、「本当だよ」と言った。
 バイスは父親の膝に乗っかると、「男の子?俺と同じくらい?」とさっそく質問する。
「いいや、女の子だよ。お前より少し下じゃないかな」
「なぁんだ。女の子かぁ」
 最近、浜辺ではやっている探検隊ごっこに、女の子なら入らないだろう。あと一人、同い年くらいの男の子がいれば、松明(当然炎は灯していない)を持つ役目を言い渡せたのに。
「ナラのところで引き取ることになりそうかね?」
「ええ。ナラも一人じゃ寂しいだろうし、ちょうどいいかなと思って」
「そうか」
「え?ナラのところ?じゃあ、隣じゃん」
「そうだよ、バイス。だからお前はちゃんと面倒をみておやり」
「なんで」
「一つは、お前は村長の息子だから。一つは、お前は男の子だから。そしてこれが一番大事――最後の一つは、困った人がいたら助けるのは人として当たり前のことだから」
「でも女の子なんだろ?だったら同い年くらいのユユとかに任せればいいじゃん」
「バイス」
「そりゃ、もちろん、俺もちょっとは面倒みてあげるけど、さ」
 リュンは息子の横顔に少しの照れがあることを見ると、大きな手のひらで頭をわしわしと撫でてあげた。
「頼んだよ、バイス。お前は面倒見がいい子だってこと、父さんは知っているからね」



 父親に言われたせいもある。
 バイスは軽やかな足で外に出ると、すでにいつもの溜まり場でバイスを待っていた子たちが、こっちだぞぉと声を上げてくる。
「おぅ、今行く!」
 言いながら、ちらりとナラの家を見た。
 入り口の布は垂れ下がっていて静かだった。ひょっとしたら、拾われた子は眠っているのかもしれない。
(そうだよな、だって昨日は散々な目にあったんだもんな)
 バイスはまだ幼い子どもだったので、生活苦で子どもを捨てる大人が居ることが信じられなかった。
 親は子どもを守るために存在している、と疑わなかったので、あの広大なキリキリの森に置いていくことができる気持ちなど理解できようもなかった。
 けれど、もっと大きくなると、捨てられる子どもの数は多いと言うこと。ただ捨てられるだけの方がひょっとすれば、まだましで、ラミネーなどに売り飛ばされたりする子もいることを知るわけだが。
「今日も磯探検だろ?」
「ああ、そうしよう。昨日まで歩いた先の、あの岩山。きっとお宝があるはずだ」
 男の子たちはわらわらと足早になる。
「なぁ、バイス」
「ん?」
「昨晩、子どもが拾われたって話、知ってるか?」
「ああ、知ってる。父さんから聞いたから本当だ」
「なぁ、男か?女か?」
「女だ」
 なんだぁ、と先ほどのバイスと同じ反応が方々であがる。バイスは心持ち胸を反らして、威厳(ということを知っていたかは別として)を込めて言った。
「親に捨てられた子なんだ。ちゃんと面倒見てやらなくちゃだめなんだぞ」
「だって女だろ?一緒に磯遊びはしないぞ」
「それでもだ」
 えぇ?と不服そうな声を聞きつつ、波の音が聞こえ出すと、小さな男の子たちの心は探検に大きく傾き、昼ご飯の時まですっかりそのことを忘れたのだった。



 ここに居ても良いし、外にちょっと空気を吸いにいってもいいよ。好きにしてな、とナラ(自分を引き取ってくれた女性。世話好きなのだろう。いかにもこういった村に居そうである)が身振り手振りで説明してくれたので、ターシャは外に出てみた。アービュは敢えてシーア語を学ばない方が警戒されないといってたため、会話することができないのだ。
 間違いなく自分の話で村は持ちきりだろうし、その好奇の目に晒されたほうが、手っ取り早く村の雰囲気も掴める。
 小さな村だった。
 騎士団の野外演習場の一つ分くらいだ。
『おや』
『あの子』
 井戸で洗濯をしていた女性たちがターシャを見て、ひそひそ話す。
 ターシャはちらりと見ただけで歩き出した。
 昨日連れて来られた時も思ったが、騎士団の一隊でも襲撃すればあっという間に取り壊されそうな塀と、一応のためとしか思えない粗末な櫓、どこまでも牧歌的な雰囲気の小さな村は、ターシャにとってある意味信じられないくらい平和だった。
 喧嘩をしている夫婦や恋人はいるが、気を失うまで殴りつけるような暴力はどこにも見当たらないし、子どもを不当に働かせていることもない。
 饐(す)えた空気はどこからも漂ってこず、昼ごろになると家々からは煮炊きの匂いがした。
(なんなの、ここは)
 これが本当に同じ世界なの。
 自分が生まれ育った、あの場所と。
 本当に同じ星にあるものなの。
 眩暈を覚えた。



 自分よりも背の高いトウ畑をぶらぶら眺め、結局何をするでもなく、また村へ戻ってきた。本当になにもない。
 森と海に挟まれた場所。
 ナラが昼ご飯の用意をしているだろうかと思いつつ、家に向かう途中で男の子たちのかたまりと出会った。
 何気なく視線を向けたターシャは、その中のひときわ目立つ存在に釘付けになった。髪の毛が金の色をしていたからだ。
 それはターシャの恩人アービュを思い出させるに十分で、ふいうちだったために馬鹿みたいに突っ立って眺める羽目となった。
『おい、あれ』
 一人がターシャに気づき、視線が自分に一斉に向いた。
 金の髪の少年もこちらを見た。
『あ』
『あいつ、ほら、森で』
 囁きあいながらも興味あるのか塊も動かない。
(……アービュ様)
 ターシャは胸を詰まらせながら、唇を噛んだ。
 その間に、ずんずんと金の髪の少年が近づいてくる。
『おい』
「……」
『おい、お前、昨日森から来たんだろ?』
 少年が身振り手振りで森を指す。ターシャはとりあえず頷いた。
「俺の名前はバイスだ」
(!)
 驚いたことに少年は古代ワーデルタ語を喋った。しかしターシャは顔色を変えず、なにを言っているのか判らないという表情を浮かべて見せた。
「ちょっとだけ。父さんに習った。判らないか?」
「……」
 ううん、そうかぁとバイスは唇をとがらせ、自分に指を向け「バイス」と言い、次にターシャに指を向けた。
「名前は?」
「……」
「名前」
「ターシャ」
「ターシャ」繰り返すように少年は呟き、にっこり微笑んだ。「よろしくな、ターシャ。お前の家、俺のとなり」
 ぎこちなく単語が並べられ、バイスはターシャの手を取った。驚いて振り切ろうとしたが、挨拶代わりの握手だったのかあっさりと手は離れる。
「なにか、あれば、言え」
「……」
「ううん、わからないよなぁ。困ったなぁ」
 喋れるわ。
 あなたの言ってること、判る。
 喉元までこみ上げた衝動を必死で押さえ込み、ターシャは無表情に徹した。
 しかし崇拝するアービュと同じ髪の色が、急速に心に親近感を持たせる。
『おおい、バイス!なに一人で喋ってんだよぉ』
『ご飯食べに帰るぞぉ』
『おぅ!またあとで集合な!』バイスが大きな声で返事をすると、散り散りになっていく子たちを見送り、ターシャに向き直って笑った。「お前も帰るんだろ?」
「……」
「行くぞ」
 大股で歩いていくバイスの後ろからターシャは歩き出した。真っ青な空から降り注ぐ日の光。光をまとって煌めく金の髪。
 それを飽かずターシャは眺め続けた。



 三日もしないうちに、ターシャはシーシアの村の人々の関係性を把握し、隣の家の村長の息子が、バイスだということを知った。
 リュンは穏やかな村長で、バイスとは似ても似つかない地味な茶色の髪をしていた。どうやらバイスの髪は母親から譲られた色らしい。
 シーア語の勉強に午前中と午後、フレスコに習いに行くと、『物覚えが早い子じゃわい』と誉められた。あまり複雑な言語じゃないのも手伝って、ターシャはカタコトで何とか喋れるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
『ターシャ、子どもたちと遊んでくるといいよ』
 朝ごはんの後は、決まってナラはそう言って、ターシャを外に出した。確かにターシャが出ると同い年ほどの少女たちが遠巻きに自分を見てくる。誰が話しかけるかで、いつまで経っても近づいてこないけれど。
 ターシャはそれが何となく煩わしかったのと、よく考えれば今まで同年代の子と遊ぶなどしたことがなかったせいもあり、その視線を敢えて無視して、一人で散歩したりして時間を潰した。
 そうしていると、徐々に子どもたちの中にも様々な人間関係があることに気がついた。
 そして輪の中心には必ず、バイスがいるということも。
 元気よく遊んでいる男の子たちを木陰で眺めている女の子たちの視線は、一番元気な少年を追っている。
(……村長の息子。こんな小さな村だけど、彼の嫁になれば立場も偉い)
 こんなちんけな村でも、それなりの敬いを貰えるだろう。
 しかし観察しているとバイスはしょっちゅう自分を気にしては話しかけてくる。それもずいぶんと不躾にずかずか領域に踏み込んでくる。
 初めて会ったときには、アービュと同じ姿に親しさを感じていたが、今ではその印象は変更を余儀なくされた。
 よく言えば快活、悪く言えば粗野。
「……」
 アービュの命令でシーシアにやってきたわけだが、月喰いが出現するまでにあと十年ほどの月日が必要だ。
 月喰いが現れたときに、確実に仕留められるように、訓練は怠らずにしなければ。森の奥に少し入れば誰の目にも晒されずに練習できる。
(土地だけは唸るほどある)
『ターシャ』
「!」
 のぞき込まれていたことに驚いて、ターシャは息をのんだ。目の前にバイスが立っていたのだ。
 気づかなかった――当然といえば当然かもしれない。ターシャが敏感なのは自分に悪意や殺気を放ってくる存在にだ。こんな風に警戒心まるでなしで近づかれる方が、よっぽど察知しにくい。
 声を出さない姿に、『そんなに驚かせたか?』とバイスが頭を掻く。
『なぁ、あっち、女の子いるだろ?一緒にあそべよ』
『……なぜ?』
 当然の疑問が口から出ると、しかしバイスはきょとんとした顔をした。
『なぜって、だって、遊び相手がいないのは、つまらないだろ』
 つまらない?
 遊べないことがつまらないことだと感じたことはない。遊んだことなどないのだから。
『べつに』
 もっと柔らかな言葉を選べればよかったが、習いたてのシーア語では単語が限界だ。しかし少年は気にせずに振り返ると、こちらを見て明らかに不服そうな顔を浮かべている少女たちに向かって声を出した。
『おーぃ、ターシャも一緒に遊んでくれよ』
 ひそひそと会話をして、近くに寄っていくかどうかを相談しているらしい。バイスとは話したいけど、隣の自分は気に入らない。そういうことだろう。
 それにしても――
(いちいち、皆で決めなければ動けないの?自分で判断するっていう能力は欠如してるわけ?)
 面倒くさい。
 ターシャは煩わしさを感じて、ため息をつくとその場を離れた。
『あ、おい。ターシャ!』
『べつに、あそばなくていい』
『え?』バイスが困惑した顔を浮かべた後、緩く首を振るった。『でも一人なんてよくない。皆と仲良くなった方がいい』
『平気』
 ちらりと背後の少女たちを見て、ターシャは思わず唇をゆがめた。一瞬の冷笑だったが、それをバイスは見逃さなかった。少年の表情が僅かに強ばる。
『ターシャ、お前――』
『あなたも余計』
『!』
 ちらりとバイスを一瞥すると、ターシャは浜辺の道へと向かう。こんな狭苦しい、いつも誰かに見られているような村にこれから長い間住もうとしているのならば、一人になれる時間は確実に欲しい。
 さっさと歩いていく姿に声をかけられず、バイスは立ち尽くしていたが、『なぁ、バイス。ターシャはなんだって?』という言葉に、少しむっとした顔で言った。
『……あいつ、なんか気に入らない』



 璋子(たまこ)は目をぱちぱちとさせた。
「ターシャさん、かなりぶっきらぼうだったんですね」
「無愛想の見本市みたいだったぞ。今でこそ、と言っていいのか最早判らないが、タマコたちが召喚されてシーシアに来たときは、かなり丸くなった後だ」
「……そうなんですか」
「ま、その丸くなったってのも、どこまで変わったのか怪しいものだけどな」
 少し苦みを含んだ笑いをこぼしながら、バイスは短艇に腰を下ろした。
「それでターシャさんはどうしたんですか?」
「それで?俺たち子どもは、森に捨てられた女の子が全く村に馴染もうともせずに、笑いもしなければ泣きもしない様子がだんだんおもしろくなくなってきて、何とかしてあの無愛想を崩したいって思うようになったのさ」
「ふむ」
「で、ある日、痺れをきらした俺が、とうとう怒鳴ったんだ。ターシャの中に絶えず見え隠れしていた「冷笑」が、当時は得体の知れない何かに思えてな。「おまえはぜんぜんわらってない。おれたちといると、あんたたちとはちがうんだっていう顔してる」って」
「……」
 バイスは砂を蹴った。
「ターシャは俺に叫んだよ。あんたがだいっきらいだって」
「ターシャさんが……」
「そう。生まれて初めて、人に「大嫌いだ」と言われた。俺はそれがすごく……衝撃的でな。それを見ていた他の子どもたちがもう我慢ならないって、ターシャを懲らしめるために立ち上がったのさ」
 それは、ターシャが森から拾われて、ちょうど二月が経過したハルヤの日だった。



HOME | NEXT