想い合うのに、傷つけ合う。想い合うから、傷つけ合う。
第百四十一話 針を飲む



 カヌエは璋子(たまこ)の腕の中にイシカが居るのを見ると、顔を険しくさせ、ずだずだと入り込み、片手を振り上げた。
(避けられない!)
 璋子はイシカを庇って身を縮めると、頬に激しい痛みを感じ、次の瞬間には床にイシカと共に倒れていた。
『……貴様、……離れろ!イシカに触れるな!』
 引き剥がされ、イシカが短い悲鳴を上げながらカヌエに引きずられる。
「やめてく――っ」
『黙れっ!』
 再び頬を張られた。たたらを踏んで呻く。
「タマコ!」
「星屋さん!」
「だ、大丈夫、……たた」
 あははと笑おうとした口から血が流れた。中で切ってしまったようだ。
「……あの、男!」
 サナが拳を握りしめ、振り返る。
 カヌエはイシカを片手で引きずり、小屋から出ようとしていた。
「ちょっと、あんたっ!」
「乱暴はやめてください!」
 鋭い声がカヌエを追いかけた。
 レンだった。
「失礼だと思わないのですか。イシカは、僕に招待されてここに来たんですよ。何の権利があって、貴方はこんなことをするんですか」
「なんだと?」
「貴方は大人だ。大人は子どもより力が強いことを知っているくせに、そんな風に子どもを力任せに引きずって、いいと思っているんですか」
「子どもでもしてはいけないことをすれば、それ相応の対応をされるってことを覚えておくべきだな」
「ならば、それは僕が受ける罰でしょう。イシカがここにきたのは、僕が招待したからなのだから」
「招待を拒否することも出来たはずだ」
 カヌエの言葉に、レンは挑みかかるように言葉を吐いた。
「それは貴方たち大人の話でしょう。自分と遊ぶ友だちもいなかったイシカにとって、僕は初めて出来た遊び相手だ。その相手が「遊びにおいで」と言って、大人の都合で考えられるはずなんてない。なぜならイシカは子どもなのだから!」
「……ガキが何を賢しらに」
「イシカから手を離してください。……僕は父様から教わった。自分より力のない者を、力で捻じ伏せる者に屈するな、と」レンの目が厳しい光を湛えた。「そして、女性に手を挙げる男は決して許すなって。――どんな理由であっても、生まれつき男は女より力が強いのだから、男がそれを行使するなら、それはその男が女よりも弱いことを示すだけだって!」
「……」
「貴方はお姉さんを二度も殴った!僕は貴方を許さない!」
「お前に許しを乞うる気は毛頭ないね」
「――あら、奇遇。私もあんたを許す気は毛頭ないわよ」
 低い声がどこからともなく現れると、璋子の前に立っていたサナが「お空のかなたへふっとびやんこ」を持っていた。
 心なしか通常のふっとびやんこより、大きい気がする。
 喜音(きね)がそう思っていると、サナは唇を歪めてみせた。
「実はこれ、試運転第一号なの。その身に余る光栄と思いなさい。おめでとう。そして永遠にさよなら。――みらくるはいぱぁぶっとびやんこぉぉぉぉぉぉ!」
 カッッッ!と光が放たれる。
「!」
 どげしっとか、ぼぐっという可愛い音ではなかった。
否、今までの音が決して可愛いわけではないのだが、今回の音と比べたら可愛いものだった、という意味である。
 家坂が後日語ったところによると「カヌエに当たった瞬間、ダァゥギャァォッッ!っていう音だったお……」らしいが。
 あっという間に姿が無くなったあとの小屋に、涼やかな風が開いた屋根から入り込んでくる。
「……小屋の屋根に穴が」
「星が綺麗に見える」
「ふぅ……、割といい感じじゃない?このみらくるはいぱぁぶっとびやんこ」
「ふっとびじゃなくて、「ぶっとび」なんだね。まぁ、その通りな感じだけど……あたたた」既に腫れてきている頬をさすりつつ、璋子は顔をしかめて見せた。「でも、どうしよう……カヌエさん、絶対怒ってるよ」
「タマコ。過ぎたことをくよくよしてちゃ、ご飯がまずくなるってなもんよ」
「……サナちん、君がそれを言っちゃ駄目でしょ」
 家坂が小さく突っ込みを入れた。
「……」
 呆然としているイシカを見て、バイスが笑った。
「おい、子どもが石化してるぞ」



 煮炊きの良い匂いが鼻を掠める。
 タンドリアはひくひく鼻を動かして、寝ぼけ眼のまま小屋の中で目を覚ました。
 小さな竈の前に誰かが立っている――
「……シコク、様?」髪の毛が長かったため、ついその懐かしい姿と重ねたが、それは病人だった女であることに気がつくと、驚いて跳ね起きた。「こ、こらこら!何をしてるんだい!」
「ああ、おはよう」
 振り返った女は青白い顔をしていたものの、昨日よりも足腰をしっかりとさせた状態だった。
 それでもタンドリアは近づいて、「具合はどうなんだい。あんたまだ傷が開くかもしれないって言っただろう」と声をかけたが、女は緩く頸を振るった。
「大丈夫。昨日、肉を食べたから」
「だからってそんな急に――うわぁああっ」
 いきなり衣服をめくって肌を見せてきた。
 驚いたタンドリアはしかしまた違った驚愕で目を見開いた。
 傷口が確かに昨日よりもずっとしっかり塞がっている。
「……」
「訓練はしているから治りは早いの」
「そ、そうか、……まぁ、それに越したことはないんだが。無茶はしちゃ駄目だぞ」
「ご飯を作ったから食べるわよ」
「あ、ああ」茶碗によそった汁物とヤットを食卓に並べ、二人で食す。味付けは美味しかった。「うん、美味しいぞ、これ」
「有り難う」
 それだけ言うと女は口を閉じてご飯を食べ始める。無言のままに朝日が差し込む窓を眺め、こんな風に誰かと一緒に過ごす、のんびりした日常は久しぶりだと思った。
 それは目の前のタンドリアもそうだったらしく、どことなく気恥ずかしそうに汁を啜っている。
 食べ終わった茶碗を洗い桶に浸すと、食卓の前でぼんやり座っているタンドリアを振り返った。
「ん?どうした?」
「……助けてくれて、有り難う」ターシャは膝を折り、頭を下げた。「おかげで私はこうして生きている」
「急になんだい、そんな大げさなことはよせって」
「貴方は何も理由を聞かなかった。私みたいな女が一人、小舟であんな傷を負って漂着したのに、親切に看病してくれた。……それは、底抜けのお人好しと呼ぶべきことだけど、とても希有なことだと、思う」
「……」
「私の名前はターシャ。ホイロス大陸のシーシアという村で育った」
「シーシア!そりゃ遠いとこだなぁ。キリキリの森は薬草の宝庫だって、そういえばシコク様が言ってたっけな」
「理由があって、人を追っていたけれど、手違いで自分が手傷を負ってしまって、港町レガントからここまで流されてきた」
「そうか」タンドリアは真面目な顔をして頷いた。「それで、ターシャ。お前さんは回復したら、また人追いを再開するってことかい?」
「……いいえ。それはもう必要ではなくなった」
「……」
「そう、もうそれは――必要ではなくなった」
 タンドリアに話すと言うよりも、それは呟きに近く、ターシャは竈のそばで立ち尽くしたように、遠くを見た。
 アービュの手の内から、もう月喰いを追う必要も、殺す必要もないと言われた。
 そして月喰いを追うことも許さないと。
 だから死ねと――。
「それじゃあ、シーシアに戻るのかい」
「……」
 シーシアに?
 またあの平和で、穏やかで温かだけどちょっとお人好しばかりが集まっている村へ?
 ナラのいる――家へ?
「……」
 タンドリアはターシャの表情をみて、小さく笑った。
「それもなんだか納得してないって顔だなぁ。じゃあ、ターシャ、お前はどうしたいんだい?とりあえず、ここには好きなだけ居て構わないぞ。お前さんが俺と二人で住むのは不都合があるってなら、近くに小屋を造ってもいい」そういうと立ち上がり、ターシャの頭を撫でた。「ゆっくり考えるといい。焦ったって、捻ったって出てこない答えなんて、いくらだってあるんだ」
 部屋の隅にあった鍬を手に取り、さて、薬草畑に行くかな、と肩を回しながら小屋を出ていく。
 取り残されたターシャは洗い桶の水面をじっと見つめた。
 そこにまるで答えがあるかのように、じっと。



 イナはよく冷やしたマウナイの実を皿に盛って、薄布の向こうで横になっているイシカにそっと声をかけた。
「イシカ、ここにご飯を置いておくからね。食べなさいね」
「……」
「……」
 伺う母の気配が遠のくと、イシカは小さくため息を吐いた。左頬が腫れている。
 昨晩、レンの小屋から帰ると、マウラが帰宅しており、有無もいわさずに頬を張られたのだ。夜通しジンジンと痛んだそれは、すっかり腫れてしまっている。母親がなにを言ったかまでは判らないが、泣きはらした顔を見て、父親はイシカが何か酷いことを言ったのだろうと見当をつけたようだ。
 外に出ることを禁じられ、小屋の奥でじっとイシカは軟禁状態になっている。
 開いた窓からは、マウラやイナに『イシカが遠来人と会ったんだって?』『子どもはこれだから』という非難を浴びせている声がする。
 小屋の外に出て、「悪いのは俺で、父さんや母さんじゃないだろ!」と怒鳴りつけてやりたい。
 ふざけるな!そんな嫌みばっかり言いやがって!と喚いてやりたい。
 でもそんなことをすれば、マウラとイナが余計に酷く言われるだけ。
 そして確かに約束を破ったのは自分なのだ。
(母さんに……謝ってもいないのに)
 布を頭からひっかぶって、イシカは無理矢理目を閉じた。
『まさかイシカが会っていたなんて知らなくて……』
『知らなかったんです、で済む話じゃあないでしょうよ。ええ?おばば様があれだけ最初に口酸っぱく、子どもに言ってたじゃないですか』
『子どもだからってこれは見過ごせないだろう』
『ドゥヌハイ様に託してみたらどうだい』
 イナの顔色が真っ白になった。
『そんな……!なにもそんな罰を与えなくても!』
 取り縋ったマウラの腕は固く緊張しており横顔は強ばったままだ。イナは吐き気を覚えて立っていられなくなった。
『イナ、しっかりしろ』
『どうして……そんな、そこまで何故!あの子は……ただ』
『なにをしてるんだ』
 声が割って入ると、さっと村人たちが振り返った。いつもよりも数倍は不機嫌そうなカヌエが立っていた。
『カヌエ。聞いたよ、イシカが遠来人たちと会ってたんだって?』
『ああ、そうだ』
『おばば様は何だって?』
『いずれ何か決めるだろ。それまではあれこれ言うのはやめておけ』小屋の開いている窓をちらりと眺めて言った。『罰するときは罰するが、必要以上に傷つけるのを、俺は良しとはしない』
 きっぱりと言った言葉に、村人たちは押し黙り、決まりが悪そうにお互いをみると、もごもご言いながら散り散りになっていく。
 カヌエは振り返り、妻をしっかりと抱きしめているマウラを見た。
『イシカは』
『家から出るなときつく言い渡している』
『そうか。ま、そんなこと言ったって、外に出るときは出るだろうし、遊ぶなといっても、遊ぶだろうがな』奇妙な顔で自分を見てくるので、カヌエは顔を顰めた。『なんだ』
『いや――お前がそういうなんて、珍しいと思ってな』
『はぁ?なにを言ってるんだ。あいつはお前たちの子どもだろ。作るなっていってんのに、子ども作った頑固者二人から生まれてくる子どもが、頑固者じゃなくてなんだっていうんだよ』
『そう言ってくれるな』
 苦笑いをしながらもマウラはカヌエの肩を軽くたたいた。
 マウラはカヌエが好きだった。
 自分よりも九つ下だったが、生まれたときから自分の中に流れている血を知っていたかのように、どこか斜に構えた子どもで、人よりも動植物を愛していた。雨林に行ってしまうと、言いつけておかなければいつまで経っても帰ってこないような子だった。
 自分を縛る「運命」を知っているからこそ、それを知らない顔をしている。
 だからこそ――
(遠来人に月喰いが混じっていたのは……きっと誰よりも衝撃を覚えただろうに)
 部族中で一番早く雨林を駆けるカヌエの背に、やはりその重い「運命」は嗤って覆い被さっているのか。
『カヌエ、彼らはいつ島から出て行くと?』
『誓霊を得たら出て行くと言っている』
『誓霊……?この島に、居たのか』
 驚いた顔をするマウラにカヌエは頷いた。
『ああ。だが、そうしたらさっさと出て行くだろうよ。他にはなにもない島だからな』



 璋子は夕焼けになる頃、バイスと一緒に浜辺までやってきていた。自分たちが乗っていた短艇がきちんと使えるかどうかの確認をしておかなければ、と思ったからだ。
 数日ぶりに足を運んだ浜辺から見える海は、あの時化のような時とは違って、穏やかな波を規則正しく砂浜に送っては戻していた。
「シーシアを思い出しますね」
「ん?ああ、そうだな」
 船の底を丹念に見ていたバイスが顔を上げ、笑った。
 バイスが自分たちの旅についていく、と宣言したのも確かこんな夕焼けだった。
 あのときからずいぶんと遠くまで来た気がする。旅の距離だけでなく――心も。
「バイスさん」
「んー?」
「ごめんなさい」
「なにがだ?」
「ターシャさんと戦って」
「……」
 バイスは驚いたように璋子を見た。
「きっとすごく嫌だったと思って。私たち二人が戦うこと。きっととても哀しかっただろうと思って」
「……でも、お前はまたターシャが襲ってくることがあれば、やはり杖を構えるんだろう?」
「はい」
 きっぱりした口調にバイスは口を噤んだ。改めて目の前の少女を見つめる。
 初めて会ったときの心許なさはどこにも無かった。
 平凡でどこにでもいそうな、か弱い女子ども。
 そう思っていただろう昔の自分に、バイスはからかいの滲んだ声で言っておきたくなる。
 ――いや、それはちょっと早合点だぞ。案外こいつは頑固で根性据わってるんだ、と。
「でもそれは彼女を殺す為じゃない。何度でも何度でも、ターシャさんを迎え撃ってみせるためです」
「いつまで?」
「ターシャさんが「もう飽きたわ、やめる!」って言うまで」
「……」
「彼女は私を甘いって言った。甘くていいの。どんな理由をつけたって人を殺すくらいなら、私は「甘い」を選ぶ。この気持ちまで染められてたまるもんかって思ってるんです」
「タマコ」バイスは口から迸るように言葉を放った。「俺はあいつを許したいんだ」
「!」
「お前にあいつがしてきたことを思えば、こんな言葉はおかしい――判ってる。でも、……俺は」
「バイスさん。私、前に言いましたよね?本当の意味でターシャさんを救えるとしたら、それはバイスさんなんじゃないかって。その気持ちは今も変わってないですよ」
「……タマコ」
「ターシャさんが本気で私を殺そうとするなら、私も本気でそれを阻止する。それだけです」
「……ターシャはどう思っているんだろうな。よく考えると、あいつは腹のうちを見せない人間だったし、だから最初シーシアに来たときは他の子どもらに嫌われてた」
「そうなんですか?」
「ああ」バイスは海を見てから、ちょっと笑った。「あいつも相当にひねくれた子どもだったんだよ。今思えば、大神官の命を受けてたんだから、腹に一物も二物も抱えていたんだろうけど」
 そしてバイスはぽつりと喋り出した。
 十数年前、ターシャがシーシアにやってきた時のことを――。



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