世界を形ち作るもの
第百三十九話 見えると見えない



 プスーゥと掠れた音が出るとレンは目を丸くした。同じように目を丸くしたイシカが瞬きをして、二人で身体を折るようにして笑いあう。
『もっと、つよく、ふけ』
 そういうと、イシカはカラの葉を唇に当てて、ピューイィー!と澄んだ音を響かせる。
 レンと約束したとおり、イシカはバルバルの木の上で笛を吹きながら、小さな姿が見えるのを今か今かと待った。一日に数回、子どもは瓶を背負って通る。ただし、イシカも一日中そこで待っていると親や村の誰かに不審がられるかもしれないので、朝と昼の二回だけしか足を運べなかった。
 それでも十分楽しい時間になる。
 今日も水を汲み終わると、イシカはレンが指さすものを、自分の言語で喋った。その後に続いてレンがたどたどしく発音する。次はレンが古代ワーデルタ語を喋り、イシカが続いた。
 どうしても通じないときは地面に絵を描いた。
 けれど、不思議と言葉が通じないことが気にならなくなっていた。
 何とか伝えようと身振り手振りをお互いしていくうちに、相手が何を伝えたいのか、その表情、目の動き、言葉の音程、息づかいにも気を配るようになったからかもしれない。
 言葉は通じなくても、通い合うものがある。
 イシカはそれを知った。
 例えば今のように、笑いあった瞬間とか――
(だけど、いつまでもここにいるわけじゃない。確か怪我人が療養してるって、おばばは言ってたし)
 いつ頃、出て行ってしまうのだろう。
『……』
「どうしたの?」
 レンが腕を触って、のぞき込む。
『いつ、おまえたち、でる?』
 島の向こうを指し示すとレンは小首を傾げた。
「わからない」
 しかしその表情は、まったく目処が立っていないというものではなく、怪我人の傷は癒え始めているから、いつになってもおかしくはない、というようなものだった。
 イシカは哀しくなった。
 せっかく、楽しくなってきたのに。生まれて初めて、次の日が来るのが楽しみで、朝が明けるのを待つようになったのに。
 レンはじっと黙った後、意を決したようにイシカの手をぎゅっと握った。
「おいでよ」
『え?』
「小屋、おいでよ。お姉さんたちを紹介するよ」
『!』
 驚いて手を引き剥がす。
 小屋に来いと言っている――だが、それは無理だ。おばばに近づくなと言われているのだから。
 本当ならこうして会ったりだってしちゃいけないことなんだ――。それなのに。
 レンを強張った顔で見た後、イシカは身を翻して走った。振り返ることも、さよならすることもせずに、ひたすら村へと。



「どうしたの、レン君」
「?」
 隣で縫い物をしている璋子(たまこ)がレンの顔をのぞき込む。それはとても近い距離だったのできょん、と瞬きした後、「わわぁ」とレンは驚いた声を上げた。
「お、お姉さん?」
「なんだか考え事しちゃってる?額に小さく皺が出来てるよ」ふふ、と笑いながら璋子がレンの眉間を指先で伸ばす。「怖い顔になっちゃうよー。喜音(きね)君みたいになっちゃうよー」
「ハル兄は格好いいです。ああなれるなら眉間に皺も悪くないかもです」
「えええ」
「だって、格好良くないです?あんな風に戦えて、僕、とても羨ましいです」
「レン君が戦うの?」
 くすりと笑いながら璋子は糸を通していく。レンに作ってあげると言ったリュックサックももうすぐ完成間近だ。
「でもでも、だって、そうしたら、僕、お姉さんを守ってあげられるでしょう?僕もハル兄みたいにお姉さん守りたいんですもの」
「その気持ちだけでも嬉しいけどなぁ。それにレン君が喜音君くらい戦えるなら、私の傍にいなくても大丈夫になっちゃうんじゃないかな」
 レンは顔を上げて、ぶんぶん頸を振るった。
「それは駄目です。だって、きっと僕を捕らえるために、お姉さんを捕まえる人がたくさん来ますもの。そしたら、戦える僕が一緒にいたほうがいいでしょう?」
 璋子は「もしも」の話で頬を染めて力説する子どもの頭を撫でた。
「それで、さっきの難しい顔はどうかしたの?」
「え?……あ、……」
 レンの勢いが急激に萎むと、しょんぼりした顔で唇を結んだ。
「言いたくないなら良いんだけどね」
「あの、あのね、お姉さん」
「うん」
「僕、瓶に水を汲みにいく途中で、サクの村の男の子と知り合いになったんです。井戸までの道に生えてるバルバルの木の上で笛を吹いてて……それで」レンはイシカとの出会いを璋子に説明した。そして今日のことを言うと瞬きをした。「お姉さんの傷も癒えたから、僕たちそろそろ島を出て行くでしょう?だから、その前にあの子に一度小屋に遊びに来てもらいたくて、誘ったんです。そしたら、すごい怖い顔して逃げられちゃったんです」
「そっか」
「……やっぱり仲良くなれないのかしら。カヌエさんもおばばさんも、僕たちのこと、歓迎していないですものね」
 だからあのとき、イシカを遊びにおいでといったのは本当なら間違ったことだった。イシカが困ることくらい、レンだって容易く判ることなのだから。
 でも――
「あの子、村には遊べる子がいないって。同い年くらいの子がいないって言ってたんです。だからきっと、僕みたいな友だちが嬉しかったんじゃないかなって思って、僕……」
「子どもが他に居ないの?」
 璋子は驚いた声を上げた。
「はい、たぶん……。僕たち言葉が通じないから、もしかしたら違うのかもしれないですけど」
「……」
 カヌエの見せた憎悪は、ただ単に伝説上の月喰いと関わり合うことが嫌だというだけではない「何か」がある。少なくとも璋子はそう踏んでいる。
 そしてそれは村全体にあるもので、レンの出会った子どもは、恐らく理由は判らないまでも、つき合ってはいけないのだということを薄らと知っている――。
(カヌエさんとは約束したから、もう数日したら島からでなくちゃいけない。その前に舟を浜辺まで見に行って、壊れていないか確認しないと)
 あと気がかりなのは。
 璋子は押し黙り、島に漂着した後からずっと感じてるものを、もう一度確かめるかのように神経を研ぎ澄ませた。
(そう。居る。――この島のどこか、二つの光)
 誓霊が。



 息を吸い込むと同時に手を動かした。指先の動きに沿って光の粒子も動く。否、粒子の動きに指が沿っているのだろうか。
 考えようとすると、(考えるな)とトゥルネルケパーレの声が頭に響く。
 座っている璋子の前に立っている杖二本。光を追っていたのをやめて目を開くと、チトンの杖を手に取った。
 立ち上がりざまにヤモリの杖に向けて振る。
 鈍く低い音が響く。
 璋子の動きを受けたヤモリの杖が、ぴたりと止まっていた。
『やるのか、月喰い』
 揶揄の言葉にしかし璋子は頷いた。
「お願いしてもいいかな」
『……は?』
「カント」璋子が呼ぶと、鷲の姿をした光が飛び出してくる。カントの風の力を足にまとった。「ヤモさん、お願いします」
『はぁ?本気か。……ったく、まじめなこった』そう言いつつも、ヤモリの杖は少し離れたところまでカコンカコンと飛んでいくと、振り向きざまに枝葉を勢いよく広げてきた。璋子は鋭い枝から逃れようと、跳躍してかわしていく。『手加減しねーぞぉ』
「はい!」
 追いかけてくる枝と枝の隙間に身体をねじ込む。目の前に枝が伸びる――腕を伸ばし、枝を掴む――そのまま身体を持ち上げる――
「!」
 足首に枝が絡まり、呆気なく落下する。
『とろい』
「……うっ、でも結構いい動きしたと思ったんだけどなぁ」
『運動が駄目駄目駄目なお前にしてはな』
「ちょ、どんだけ駄目なんですかねっ?知ってますけどね!」
 絡まった枝を取り払うとぼさぼさの髪の毛はそのままにして(どうせまたぼさぼさになるだけである)、璋子は杖を構える。
「……動きを目で捉えようとするから駄目なのかなぁ」
『月喰いどん、なんでもやってみるがええよ。おまえさんはまだ若いんだしね』
 チトンの言葉に璋子は笑う。ヤモリとまったく性格が違う杖が次に手元にきたのも面白い。人生はまこと妙である。
「だよね、若いってのはそれだけで無謀出来る特権を持ってるんだものね」
『んだ、んだ』
『阿呆か、てめぇら!無謀して勝手に死ぬのはお前だけにしろよ!俺は絶対巻き沿いごめんだからなぁ!』
『ヤモリどん、そうかっかすんな?深呼吸してみぃ。すうはぁすうはぁ、だ』
『な・に・が、すうはぁすうはぁだ!お前こそ少しは脳味噌に空気送り込め!』
「よし、やってみる!ヤモさん、次お願いします!」
 璋子は言葉を遮るように言うと、思い切って目を閉じた。
 閉じると世界は一変する。
 そこは月恨の力と、杖の内部の力がほの暗い中で血管のように張り巡らされている世界だった。
(見える。しかも、)
 璋子は再び跳躍した。
(ヤモさんの中から行使される力が、次にどこに来るか、――)
 飛んでいた方向と違う場所へ、璋子は腕を精一杯伸ばし、枝を掴むと大きく身体を振り子のように揺すって、自分自身を放り投げる。
 宙に投げ出された視界から自分めがけて伸びてこようとする枝が、途中で竦んだように止まる。
「……」
 目を開けると、杖の表面でヤモリがじっと璋子を睨んでいた。
『月喰い、てめぇ……』
「理由は判らない。直感」
『いい直感だぁ』ヤモリが非常に珍しくずばりと褒めた。『それが百発百中の直感になればたいしたものだがな』
「でも、どうして?」璋子は何もない空間に手を向けた。「どうして、「そこ」を枝――力は通りたがらないのかな?」
『大地と一緒だ』ヤモリは短く答えた。『柔らかい部分があれば堅い部分もある。力が通りやすい空間もあれば通りにくい空間もある。そういうことだ。目に見えないからそこに何もないだなんてのはおかしな論理だ、違うか?』
「……違わないです。きっと、目に見えているものと同じくらい、目に見えないものはあると思う」
『ふん。判ったような口を利きやがる』
 璋子は、あははと笑ってチトンの杖を握りしめた。
「コルの誓術を限界超えて発動させたせいなのかな……感覚が今までよりも広範囲になっている気がする」
『あんときのせいもあるだろうが、何よりそれを増長させてやがるのは、この雨林だろ』ヤモリがぼそりと呟く。『しかもお前は覚えてないだろうが、短艇に乗り換えた時、他の短艇と切り離して俺らをここに漂着させたのはお前だ』
「え!」
 予想外の言葉に璋子は絶句する。
 自分のせいでここに――?
『そうだ。薄らでも感覚として残ってないか?あのとき感じた気配』
 誓霊の――気配を。
「……私は、それに呼ばれるようにして、この島へ?」
『だろうな。そしてきっと「ヤツ」もお前が海の上にいたことを気づいて、呼び寄せた』
 そこでヤモリは口を噤む。ふと気配を感じて振り返ると、カヌエがじっとこちらを見ていた。
「あ、こんにちは」
「ずいぶんと動けるようになったみたいだな」
 先ほどの鍛錬を見ていたのだろう。璋子は素直に頷いた。
「はい、おかげさまで回復しつつあります。カヌエさんが毎日薬を持ってきてくださったからです。有り難うございます」
「薬?あれが毒だったらどうする?」
 意地悪く笑みを浮かべたカヌエに、璋子は一瞬黙った後、笑った。
「そうしたら、また泉に戻ります。出来れば二度と入りたくなかったですけど」
「馬鹿か、お前」
「まぁ、ある意味で馬鹿でしょうねぇ」
「……」
 そんな答えが返ってくるとは思わなかったのか、カヌエは小さく瞠目する。
「月喰いなんて馬鹿じゃなきゃやってられないですよ」
「……約束は覚えているな」
「もちろんです。明日にでも舟を確認しにいって、大丈夫そうなら数日後には出発します。ただ、」璋子はじっとカヌエを見つめた。「その前に、雨林にいる誓霊を集めるつもりではありますけど」
「お前、気づいてたのか」
「ちゃんと気配は追っていないので、うっすらとしか判らないですけど、二つ、感じます」
「二つ?」
 意外だったのかカヌエは怪訝な顔をした。しかし璋子はそれよりも気になったことがあった。
「カヌエさん、誓霊の気配が判るんですか」
「!」
「普通、判らないんですけど」
「あれが誓霊の気配かどうかは判らないが、ただ、異質な力だと思ってただけだ」
「そうですか」
「……」
 ぎりりと目を細めて睨んでくる。今の質問で再び警戒心を煽ってしまったようだ。
 本当は色々と聞きたいことがあったのに。
 レンが出会った子どもの話も気になるし、雨林に満ちる何ともいえない気配も「何」によるものなのか、それからカヌエと出会ったときに使っていて不思議な術は何なのか。
 誓霊たちが口数少ないのは何か理由があるのか。
 カヌエの視線から感じる憎悪は一体何なのか。
 それでも璋子はぐっと言葉を飲み込んだ。カヌエははっきり拒絶の態度を示しているし、決して踏み込むことを許していない。
 ヤモリの杖も手に取ると、璋子はぺこりと頭を下げて小屋へ戻る道を引き返した。背後から突き刺さるカヌエの視線を感じたが、振り返らなかった。



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