支える根の想いは誰も知らない、誰も見えない
第百三十八話 それぞれの小さな傷



 ぱちりと目を覚ますと璋子(たまこ)は寝床から起きあがった。ターシャに傷つけられた左肩をゆっくり回し、少し違和感を覚えるものの、動かせなくはないことを確認すると杖を手にとって起きあがる。
 小屋の中ではサナとレンとミモザが眠っていた。男たちはどこへ行ったのだろうか。朝練だろうか――。
 静かに入り口の布を押し上げると深呼吸をした。
「……綺麗」
 ぽつりと呟いたのは、オミクレー雨林を覆っている朝焼けを見てだった。真っ赤な色と紺青が滲みあい、遠くから潮騒の音が絶え間なく聞こえてくる。
 今日は晴れの一日だろうか。
『ややや、月喰いどん、傷はどうだいな』
「チトン」杖の表面から、つぶらな目で見上げてくる豚に璋子はにっこり微笑んだ。「うん、おかげさまで。今日から身体を動かして、体力戻していくよー、頑張るよー」
『そうかいそうかい、そりゃよかった』
「ふふふ。チトンとも誓術を合わせていかないとね」
『んだな。おらは、あんまり誓術通すの上手じゃねーけんどよ』
『なにが上手じゃねーけんどよ、だ。ボケェ!杖なら杖らしく術をぶっぱなせってんだ』
 ヤモリが口汚くチトンを罵るが、いかにものんびり屋のチトンは『でへへぇ』と笑うばかりでまるで堪えていない。
「……」
『なんだ、どうした、月喰い野郎』
「え?あ、うん。ヤモさんとチトンで二本でしょ。……あと一本あったら、スクナさん助けること出来るかなって思って」
 確かヤモリがそう言っていたはずだ。自分一本だけでは無理だと。
『スクナ?ああ、あのなよっちい執政官か』
「……なよっちくないよ、スクナさんは」心の中を見てしまったとき、確かにスクナは自分の弱さにつけ込まれ、月恨の力を取り入れてしまった。けれど、彼がひた隠しにしてきた想いは、幼なじみ二人を思ってのことだった。「私は本当に誰かを好きになったことが無いから、まだ判らないけど……でも、きっと好きな人の幸せを妬んだり、自分に振り向いて貰えない気持ちに苦しんだりしながらも、ミヤコワスレさんたちを祝福しようとしたスクナさんは、やっぱり強い人だと思う」
『けっ、これだから人間ってのはよぉ、色恋沙汰になると途端ややこしくなっちまうんだからな』
「……ねぇ、ヤモさん」
『あ?』
「話は変わっちゃうんだけど、あの、私、セギュランテの杖を集めていくって決めたでしょう?」
『そうだな』
「だから、今後も杖は手元に集まっていく予定だけど……常に手に持っていられるのってせいぜい二本が限界っていうか、そも一本だけにしないと両手塞がっちゃうというか」
『そうだな』
 あっさりヤモリが言ったので、璋子は困った顔をして見せた。
「どうしたらいいんでしょ?」
『どうもこうも、余分なものは背中に括り付けておくしかねーな』
「ええええっ!」
『あったりまえだろが』
「ですよねえええ!使わないものは魔法のように手元から消えて、使いたいときに取り出せるなんて便利なことは起きないですよねぇぇっ?」
『んなことができてたまるか』
「……」
 つまり。
 自分は今後杖を集めていくたびに、背中に杖を括り付けていくわけで。
 二宮尊徳ですか、あたし?
 みたいな姿になるわけで――。
「おおおおぅ。世の中って本当に甘くない!」
『だから甘い団子がうまいんだよ』
「……」
『なんだよ』
 璋子はヤモリをじっと見つめた後、初めて彼に同意するような眼差しで深く頷いた。
「ヤモさん、それ名言だと思う。その通りだよ。甘くない世の中だからこそ、甘いお菓子がおいしいんだね」



 サナは目を覚ます直前に、鼻先を掠めたいい匂いに気がついた。
 この匂いは――
「タマコのヤット……」ふがふが、と言いながら目を開けて身体を起こす。ぼんやりしたまま小屋の中をみると、小さな竈(かまど)の前で璋子が焼きたてのヤットを取り出そうとしていた。「やっぱりね、……、…………、って、タマコっ?」
「あ、おはよう」
 サナの声に振り返り、少女が笑う。
「おはようじゃないわよ、ちょっと、あんた、起きあがっていきなりご飯作ってるんじゃないわよ!」
 飛び起きるとサナはタマコに駆け寄った。
「大丈夫だよ、ほら、顔色も悪くないでしょ?」
「いやでもね、あんた毒を喰らってたんだから、」
「心配しないで。それに身体を慣らしていかないと。ずいぶんと体力も落ちちゃったしさ」
 あははと笑いながらまんまるふかふかのヤットを食卓に並べ出す。
 いい匂いにサナの耳下がぎゅっとなった。ついでにお腹も盛大に鳴った。
「汁も出来るからね。顔洗っておいで」
「うん。そうする」
 サナはそういうと入り口まで向かった。どうやら璋子の朝食には抗えないと悟ったようだ。
 小屋の外に大瓶が置かれていて、それは雨樋(あまどい)の下に設置された生活水だった。柄杓で水を掬って、顔を洗い出す。
 ふるふる顔を振るってサナは眦を掴んだ。
「あー、今日も湿気との戦いだぁ」
「おはようございます、サナ姉」
 レンの軽やかな声が聞こえる。振り返ると子どもは起きていたのか、手の中に鮮やかな花束を持っていた。
「おはよう、レン。あら、それどうしたの?」
「お姉さんがご飯作ってくださっているから、僕、これを食卓に飾ろうと思って」
「あらあら」
 まったく、他の男どもはレンを少しは見習わないと、とサナは目をくるんと回した。
 いそいそ入り口の中に姿を消していった子どもを目で追った後、小屋の下をのぞき込むと、ちょうど喜音(きね)と家坂(いえさか)が梯子を伝って上ってくるところだった。
 喜音はともかくとして家坂まで起きていたとは。
「おはよう」
「おはよう」
「あ、サナちん、はよー」
「どうしたの、キヨノ」
「え?なにが?」
 上り切った家坂の姿を見て、サナは顔を顰める。
 既に衣服が泥だらけだった。
「朝から起きているのもそうだけど、まさか鍛錬でもしてきたの?」
「うん、そうだよ」
「え、ほんとっ?」
 思わず喜音を見上げると怜悧な表情で青年は頷いた。
「ま、鍛錬のための鍛錬って感じだ」
「うるさいなー、喜音。俺っちがんばってるんだからねー」
「へぇ。ま、いいことよ。あんたが自分の身を守れれば、それだけキネたちが気にしないで他に意識集中できるものね」
 サナの言いぐさに家坂は唇を尖らせる。
「ちょっとちょっとー、なにそれ、サナちん。俺が戦闘に役立つかもっていう意見はないの?」
「役だってくれなくたっていいのよ、邪魔しなければ」
「ぐぅ」
「で?どうなの。少しはましになりそう?」
 サナが尋ねると喜音は肩を竦めてみせる。
「それはどこまでいっても、こいつの努力次第だろ」そこで喜音は小屋のほうを見た。「……星屋が起きてるのか?」
「ええ、そうだけど……何で?」
「このヤットの匂いは星屋しか作れないだろ」
 そういうと、すたすた小屋の中へ歩いていってしまう。サナはふぅむ、と顎をさすりつつ「本当にあの二人どうなんだろう?」と呟く。
「そうだ、キヨノ」
「なぁに」
「あんた、最近夢はどうなの。ほら、コーラルで言ってたじゃない。不思議な女の子が出てくるんでしょ?」
「ああ。うん、そういえば最近は見ないかも」
「ふぅん」
 家坂は黙った。
 確かに少女の姿は見えなくなったが、だからといって居なくなったようには思えない。寧ろ、姿が見えなくてもどこかしら――常に、傍に居る気さえする。
(この感覚、たぶんオプターレに入ったあとからだ)
 スピカと一緒に入り、意識を失って不思議な階段を下りていった時のことを思い出す。
 ここから先は何かが違うと感じた暗闇の階段。
「あの先に、あの子――「キヨノ」はいる」
「え?」
「……ううん、なんでもない」
 家坂は緩く首を振り、サナと一緒に小屋の中に入り込んだ。



 片腕の筋肉がびんと張っている。その滑らかな動きを見ながら、バイスは片腕立て伏せの体勢から立ち上がった。
 汗が顎を伝って地面に落ちる。拭っても吹き出してくるので、流れるままにしている。
「……」
 雨林の隙間を縫って、潮風がバイスの鼻を擽る。懐かしい香りだったが、シーシアの海のそれよりももっと荒々しく、何か「複雑」なものが混ざっているように思えた。
 現に、この雨林、雑多な種類が群生している。
 キリキリの森と同じようなものかと思いきや、どこか毒を含んでいる。奇形な植物やどぎつい色の花は「警告」を意味する。触るな、これは毒だと自ら威嚇しているに他ならない。
 薬草の宝庫と言われていたキリキリの森にも同じように毒を持つものはあったし、キツイ色のものだってあった。けれど雨林はそれ以上だった。
 人がほとんど立ち入らないというのに。
 何をそんなに拒むのだろう。
(そうだ、この雨林は拒んでいる)
 何を
 ――たぶん、人を
 では、サクの村の人間たちは、どうだ?
「……」
 バイスは薄暗い目をしながら地面を見つめた。
 こんなことをきっとサクの村の人だけでなく、璋子たちに言っても怒られるだろうから、決して口には出さないが。
 雨林にすむ彼らは人と言うよりももっと別のものに見えた。いや、感じたといえばいいのだろうか。
(だが、本当のところはどうなんだろうか)
 バイスは考える。
 同じような人の形をしていても、種族が違えば思想も違う。その同じ種族でも部族によってまた細かく思想は分けられるし――突き詰めてしまえば一個体で全く違うものだ。
 同じであって同じでない。
(シーシアの中でだって、実際はどうなのか……判らないな。今までそんなこと悩んだことさえなかったが)
 頭の中を幼なじみがよぎる。
 森で拾われ、隣の家のナラに育てられることになった女の子。
 バイスは年も近いし、自分はいずれ村長になるのだと自覚はあったから、父に言われたこともあって、面倒を見なければと子どもながらに責任感を感じていた。
 けれど女の子は自分を避け、そればかりか他の子たちとの交流もほとんど求めようとしなかった。薄く乗せた笑みの奥には、バイスが見たこともない冷たい眼差しがあった。
 あたしは、あんたたちなんかとちがう。
 あんたたちみたいに、きらくにいきているわけじゃない。
 それはバイスが初めて経験する「他人と関わり合うことを拒絶する人」の姿であった。
 驚くと同時に胸がムカムカした。
 今思うと、ターシャの根底には常に大神官への忠誠があって、シーシアの村の、のんびりした平和な空気に呆れかえっていたのだろうし、それに慣れ合うつもりなんて毛頭なかったのだろう。
 だけれど、そんなことをあのとき知るはずもなかったから、バイスはそんな態度をとるターシャが許せなかった。
 そう、許せなかった。
 なぜだろう。
(きっと嫌悪だな。……優越を覚えて人を蔑むという行為に対しての)
 そして徐々にそのムカムカは大きくなっていき、ある日大爆発を起こした。
 周りの子どもたちも、ターシャの態度をおもしろく思っていなかったのか、何とかとっちめてやろうと行動を起こしたのだ。
 しかしその事件のおかげで、バイスはターシャと仲良くなった。
 少なくとも自分はそう思っている
(思っていた、と言った方がいいのか?あいつにとっては、やっぱりシーシアは潜伏先でしかなかったのだろうか。俺や他の仲間たちのことも――ナラのことも)
 まがい物ばかりだったのだ、と切って捨てることも出来るだろうが、バイスはそれをしたくなかった。そもそんな性分ではない。
 船の上でサナも言っていた。
 諦めきれないのなら、ターシャを陣地に引きずり込むくらいの気概を見せろと。
「……今もユキットにいるんだろうか」
「バイ兄――っ」頭上の小屋からレンが手を振ってくる。「ご飯ですよーっ」
「おー、今いく!」
 振り仰いだ顔は、いつもの快活な青年の笑みを浮かべていた。



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