雨林が孕むもの
第百三十七話 イシカとの出会い



 雨と雨の晴れ間を狙ってイシカはカラ笛を吹いた。カラという細長い葉を唇に当てて吹くだけなのだが、サクの村では皆、これをカラ笛と呼んで子どもの頃から親しんできた。
 高音域になると音が安定せず、イシカの奏でる音が弱くなる。むぅ、と眉根を寄せて、唇をキツく結ぶ。
 カラ笛を上手に吹けるようになれば、一人前の男になるための第一段階をあがることが出来るのに。
 そしてそれ以上に、男になるための段階がまだまだ続くことを知っているからこそ、イシカは少しでも早く大人になりたかった。なぜなら、この村でイシカが一番幼いからだ。
(俺も今年で十一になる。もう子どもだなんて言わせないぞ)
 ピューイーと、カラ笛を再び吹き始めると、登っていたバルバルの下を小さな子どもが通った。
 思わずそちらに目がいった。
 それは、おばばが数日前に通告してきた「遠来人(えんらいびと)」だった。船が難破して、漂着したらしい。
 村の中の端にある小屋で、怪我人を療養中とのことだが、近づいてはならないと堅く言いつけられていた。主におばばの目線がこっちを見ていたのが癪だったが、今となっては判る。
 漂着した中に自分よりも小さな子どもの姿があったからだ。
 おばばは知っている。
 イシカが同い年の遊び相手が居ないことを、いつも不満に思っているのを。
 大人たちの「何故、イシカを産んだのだ」という言葉を陰で聞いたこともある。直接言われたことはないが、それは確実にイシカの心を抉った。
 父と母は言われたことなど、何度もあるだろう。自分の前ではいつも笑っているが、おばばたちに遠慮のようなものを感じていることぐらい、見ていれば判る。
『……』
 イシカは小さな子どもが瓶を背に負っているのをみた。隣には黒い毛むくじゃらの獣が歩いている。いつも見かける一人と一匹だ。
 ふ、と。
 子どもが足を止めて顔を上げた。目が合う。
「こんにちは」
『!』
 驚いてカラの葉を口から外すと、はらりと葉っぱが手から落ちた。
『うわ』宙で掴もうとして、体勢を崩す。『うわ、わわっ!』
 あ!と思った瞬間に、イシカは木の上から転落していた。
「だ、大丈夫ですか?」
『いってぇ……、あったま、打ったぁ』
「……」
 子どもが困ったように手を差し伸べている。イシカは大丈夫だと示すように手を振った。
『へいき』
「……」
 言葉が通じない。
 イシカは古代ワーデルタ語を学んでいない。そも、サクの村で共通言語を学ぶ人間なんていない。サクの村から出ることはないのだから。
 子どもを間近でみたイシカは頬が赤く染まった。自分よりも小さいが、白い肌に柔らかな髪、大きな目に賢そうな口元。村の大人でさえ、こんな上品な顔は見たことない。
 その子どもが手を合わせて、ごめんなさいとでもいうように頭を振る。
『え?』
「僕が、声、かけた、から」
 身振り手振りで自分を指し、木の上に向かって声をあげる姿をして、イシカが落ちてきた様子を再現する。
『だから、へいき!』
 イシカも身振りで返す。ほっとしたように子どもが微笑んだ。
(うわぁぁ)
「?」
『お、おまえ、なにしてんだ?瓶、もって』
「水、汲みに」言ったあと、レンは自分の任務を思い出したのか、はっとして、イシカを見つめるとぺこりと頭を下げた。「僕、行く」
『……こっち、来い』
 イシカは手招きをして先を歩き出す。
 きょん、と頸を傾げるレンに、イシカは再び頬を赤らめると、「水」と指さした。



 連れて行ってくれた場所は、共同井戸から離れた場所にある湧き水のたまり場だった。
 大人たちは井戸を使っているが、イシカは小さな頃、井戸の桶が大きくて(何しろ村はイシカ以外大人だから、そのことを気に留めてくれる人はほとんどいなかった)使えなかったため、離れた場所の湧き水を飲み水にしていたのだ。
 大雨や嵐のあとは多少塩っけ混じりになるけれど、それでも飲めなくはない。レンはつれてこられた場所を見ると、イシカに向かって再び頭を下げた。少年の意図したことが判ったのだ。
「ありがとう」
『ここなら汲みやすい』
「ありがとう」
 瓶を背中から下ろし、レンは水をたっぷり汲んだ。水を汲みに出かけるのはレンの与えられた仕事だった。日に四回、朝一回と昼二回、それから夕方に一回。璋子の薬を煎じるときにも必要だったし、炊事には不可欠になる。
(父様が知ったら驚くだろうな。だって僕が水を汲みに出かけてるなんて言ったら、きっと危ないとか、身体を壊すとか言うに違いないもの)
 今のところ体調不良になることはなく、モモノが届けてくれた薬は飲まないでいる。このまま身体が丈夫になっていけばいいのだけどと思いながら、瓶に蓋をすると、もう一度背負いなおした。
 水がこんなにずっしり重いことも旅に出て、初めて知ったこと。
 イシカはその間、じっとレンを見ていた。
 もっとおしゃべりしたいことはたくさんあるのに、言葉が通じないということがこんなにももどかしいことだとは知らなかった。
 サクの村で生まれ、サクの村の言葉を喋る。それで事足りていたのだ。不可抗力と言えばそうだが、胸の中がもやもやする。
(でも、本当ならこういうこともしちゃ駄目なんだ。おばばはちゃんと俺に釘刺したんだから)
『……』
「僕、行く」
『……』
「どうかした?」レンがそっとイシカの手を触った。驚いたイシカは慌てて手を払いのける。その動作に目を見開いたレンだったが、自分が急に触ったからだと、にっこり微笑んだ。「ごめん。おどろいた?」
 イシカはこくりと頷き、そのあと、『ごめん』と言った。
『おばば、おまえたちと、話す、駄目、言った』
「うん。しってる」
『でも俺、ほかに、いない』
「?」
『おれと、おなじ、いない』
(自分と同じ……背?ううん、違う、自分と同じくらいの、子ってことかな?)
 レンはじっと考える。
 でもそんなことってあるのかしら?他に同い年くらいの子が居ないなんて。
 もしかしたら、この男の子が一緒に遊べるくらいの年の子がいないだけかもしれない。うんと小さいか、うんと大きいか。
「あした、くる」
『え』
「あした、くる、瓶、持って」
 レンが水を汲む動作をすると、イシカの顔が明るくなった。きっとこの子は、明日もまた来ると言っているのだ。
 だから、そのときに会おう――と。
(……大丈夫。ちょっと話すだけだ。ちょっと、話すだけ。この子が、通りがかる道で俺はいつも笛を吹いてる。それだけだ)
『うん』
 イシカが笑って頷くと、レンも笑って頷いた。



 足下が滑った。
 分厚い苔が水分をたっぷり含んでいたためだ。家坂(いえさか)は踏ん張ろうとして、途端に身体の重心を見失った。そのままろくに考えずに振った槍端を喜音(きね)が掴む。
 棒を捻られると、中心が定まらずに覚束なかった身体は容易く転倒した。
「ぐっ、ふ、!」
 喉元に槍を押しつけられる。軽くではない、かなり苦しい。
「……なんだいまの腑抜けた振り切り」
「だ、って、転びそうだった、から、ぐっ」
 痛い痛い、声出ない!
 と突っ込みたくなるほど喉を押されると、家坂はじたばた身体を動かした。
「大体において、槍を動かすときは腰を落とせと言ったはずだ」
 ひょいと家坂の槍を奪うと、喜音はそれを軽く回してから構える。
「……」
 喜音に特訓を受け始めてまだ十日にも満たないが、毎日毎日見ていると、初めて判ることがいくつもあった。
 以前から喜音は前衛で獣と対峙していることは勿論知ってはいたが、本当に彼は基礎ができているのだということ。
 その構え一つだけで、自分が構えるのとはまるで違うこと。得物の特性をいち早く把握し、それを最大限に使おうとする適応能力が極めて高いこと。
 それから――
「……お前、そうやって構えてるだけで付け入る隙が見あたらないんだけど」
「この構えならな」喜音は当たり前のようにさらりと言うと、少し身体をずらした。「これだと、どうだ」
「……」家坂はじっと見つめ、さっきと違うところを探した。「……よくわからないけど、右側が空いてる気がする。ひっかけ?」
「そう。わざと誘っている。ここを打てと相手を誘って、相手が乗ってくるかどうかを確かめる」
「……あのさ、喜音。俺は別に武士になりたいわけじゃないんだけど」
「確かに武士が台頭してきてから武術の多くは形式を持った。だが、武士になりたいだろうがなりたくないだろうが、することは同じだ」それに、と喜音は言葉を継いだ。「お前は俺と違って基礎がまるで無いのだから、形をきちんと拾得しておくことが大事だ。――で?」
「?」
「いつまで寝転がってるんだ?腹でも打ち据えられたいのか」
「ひぃぃぃ」慌てて家坂は起きあがる。「いっててて、もう痣だらけ。俺の柔肌が……へぶっ!」
 思い切り槍で背中を打たれる。
「なにすんですか!痛いから!」
「痛くないわけ無いだろ。何故手加減する必要がある。それに忘れてないか?」
「え?」
「槍は、本来」びゅ!と家坂の頬すれすれで刃が通る。「――突き刺すものだ」
「……」
 星屋さん。
 君、本当にこんな男に特訓受けてていいの?
 だから、ターシャちゃんとの戦いも、あんなガチンコになっちゃったんじゃないの?
 とりあえず俺はチビりかけてます。
 こいつ、まぢで怖い、お!
「やる気がないなら帰るが」
 がらんがらん、と槍を落として喜音が言うと、家坂は慌ててそれを拾い上げた。
 もうやめたいけれど。
 小屋に戻って、ころんころんしたいけど。
 星屋さん、聞いてよ、ここ痛い痛いだよと言いたいけど。
「……いや、やる」
 今のままじゃ駄目なんだと身にしみたばかりだし、何しろこの怖い男に頭まで下げて頼んだのだ。
 中途半端なことをして見限られては困る。
「そうか。じゃあ、まずは槍を置け」
「へ?」
「……」
 喜音がリラックスしたような立ち姿で、自分をじっと見ている。
(いや、リラックスしてるように見えるけど、あれ、違う。絶対、なんか、やばそう)
「聞こえなかったのか」
「え、あ、いや、聞こえてる。槍、槍ね」何で置くんだろう、と思いながら家坂は脇に槍を置いた。「で、どうす――」
 どうするの、と尋ねようとした言葉は飲み込まれる。喜音が腕を伸ばして突いてでてこようとした。
 慌てて家坂は避ける。
 大声では言えないが避けるのは得意だ。今までの獣との遭遇でもう何十回となく避け続けている。
 喜音はちらりとその動きを見ると薄く唇に笑みを乗せた。
「逃げまどっていただけのことはあるようだな」
「おかげさま、で!」ひゅっ、と足が横滑りに動くのを見て、家坂も足をずらした。「!」
 反対側から腕が伸びる。
(なんつー、動きだよ、この男!)
 駄目だ、避けられない。
 家坂はとっさに腕で庇った。
「……」
「そうだ、避けられないものは庇うか、受けるしかない」
「……」
「だが、実際の戦いでは庇えることのほうが少ないと思っていた方がいい。俺のこの素手は実際には得物を持っているだろうからな」
「だよな……」
「いずれかが傷を負うなら、致命傷は避けるようにしろ。肉を断って、骨を守れ」だが、と喜音は短く言うと、手を家坂の上腕裏に滑り込ませる。「この部分、大動脈が流れている。いいか、ここに深い傷を負うと出血多量で確実に死ぬ。腕をつきだして守るときも注意しろ。それからお前が攻撃に移る場合も、致命傷になることは覚えておけ」
「う、うん」
 致命傷を与えることが出来る。
 つまりそれは――俺が誰かを――
 胃の腑がねじ曲がる。
「今から俺はあらゆる方向からお前を攻撃する。俺に反撃することは考えず、できうる限り避けて見ろ」
「わ、わかった」
 喜音が腕を一度だらんとさせたのち、家坂を見据える。
「いくぞ」


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