こじ開けたものは元に戻らない
第百三十六話 謝罪



 雨が再び降り出し、屋根代わりのバルバルの葉が柔らかく叩かれる。その音を聞いて、璋子(たまこ)はふと目を開く。
 三日間、小屋の中で安静にしていた。二日目の夕方頃からは寝床の上で起きあがり、ご飯を食べることが出来るようになった。ご飯はレンとバイスが作ってくれた。
「……水」
 身体を起こすと、小屋の中ではレンが本を読んでおり、気づいて顔を上げる。
「お水ですか?」
「うん」
「待っててくださいね」綺麗に洗われた瓶から水を柄杓で掬い、茶碗を璋子の側まで持ってくる。「気分はどうです?顔色は良くなってますけど……」
 小さな手のひらで璋子の手首を取ると、脈は図り出す。どうやら喜音(きね)に教わったようだ。
「うん、もうかなり楽だよ。ちゃんとご飯を食べて、体力回復させなくちゃね」
「はい!今、サナ姉(ねえ)とバイ兄(にい)が夕餉の食材を取りに行ってますから、待っててくださいね」
「今日もレン君が作ってくれるのかな?レン君、ご飯作るの上手だよね。雲海荘でも手伝ってたの?」
「ちょこっとだけですけど……」
 ふふふ、とレンは笑う。
 その横にぬっとミモザが近寄ってくる。彼女は本当にめきめき大きくなっていく。あと少ししたらレンなら乗せて走れるのではなかろうか。
 んーふー
「湿気のせいか、毛並みがぼわぼわしておりますなぁ、ミモザ殿」
 んーふーふー
「まったく嫌になっちゃうわって言ってます」
 レンがさらりと翻訳する。璋子は目をしばたたかせた。
 そうだ、この小さな子は動物の言葉を理解するのだった。
「でもミモの毛並みはふかふかだから、僕、寝るときいつも寄り添っちゃうよ?だから嫌にならなくていいよ?」
 んふ!
「ミモ?」
 何と可愛い呼び方。
 そも、この子どもとミモザが並んでいるところなんて、可愛いと称する以外に何と言えばいいのだろう。
 ミモザの耳がぴくりと動き、入り口をみる。
 立っていた高い影はカヌエだった。
「……カヌエさん」
「具合はどうだ」
「はい。もう何とか大丈夫そうです」
「あとはご飯を食べて体力回復すれば、お姉さんも動けます」
 レンが言葉を添えると、カヌエは「そうか」と低く呟き、手にしていた袋を入り口の脇に置いた。
 そういえばカヌエは最初の時以外は、小屋の中に決して入ってこない。
「薬草だ。これ全部飲みきれば、もう大丈夫だろ」
「有り難うございます」璋子は頭を下げてから、顔をあげると、既にカヌエの姿はなかった。「……」
 彼は小屋に案内したあとから、一日たりとも姿を見せないことは無かったが、「月喰い」に対する態度は全く変化しておらず、他の仲間にも一定の距離でしか応対しない。
 部落の人たちも誰も顔を見せない。
 レンたちは、外を歩けば、こちらを見てヒソヒソと話し合っているくらいで、話しかけてもこないから、それが一番いい距離なのだろうと気にしないようにしていると言っていた。
「なんだかむず痒い気はするけどな。しょうがないな、こればっかりは」
 と、バイスは笑っていた。
 ミモザはカヌエが置いていった袋を咥えると、とことこ戻ってきて、レンの手の中にぽとりと落とす。
「有り難う、ミモ」
 んーふ!
 耳をもう一度ぴくりとさせると、今度は小躍りするように軽やかにミモザは入り口まで駆けていく。目をやると、雨に濡れて戻ってきた喜音(きね)だった。
 懐くように喜音の足にじゃれつくミモザに「濡れるから、離れてろ」と言いつつ、小屋の中、起きあがっている璋子を見ると、頸を傾げた。
「大丈夫か。具合はどうだ」
「有り難う、気分は悪くないよ。体力落ちただろうなって思うけど」
「それはまた回復できる」
 喜音は部屋の隅に置いた荷物から大きな布を取り出し、ばさりと上着を脱いだ。バイスのように筋肉ががっしりついた肉体でもなく、家坂の細い身体でもなく、不必要なものはどこにもないすらりとした背中だった。
(でも、あれって、すごい鍛えてるからなんだろうなぁ……しかもバランスよく)
 背中を見せていた喜音が僅かに振り返り、「男の裸は珍しくないんじゃなかったのか」と意地悪く笑う。
「いやぁ、感心しきりというか。弟たちの身体はそんなに鍛えられてるようなものじゃないから」
「珍しいって?」
「うん」
「お姉さん、駄目ですよ。男の人の裸をそんな見ちゃ。慎みがないですよ」
 レンの顔が喜音の姿を隠すように璋子の顔に迫る。
 思わず璋子はぶふっ、と噴いた。
「ごめんなさい、慎み無かった?」
「ないです。駄目です。それに例え羞恥を感じなくても「あら、恥ずかしいわ、私、見慣れてないのよ」って頬を染めるくらいしないと男の人は喜ばないって、花篝(はなかがり)の皆が言ってました」
「ぶは!」
 今度こそ盛大に璋子は噴いた。
 さすがは花篝。小さな子に教えることもぶっ飛んでいる。
 話を聞いていたのか、上下とも着替え終わった喜音が喉を鳴らして笑った。
「チビは怖いな」
「え?僕、怖くないですよ?」
 何で?と不思議そうに小首を傾げる姿が、また微笑ましいやらなにやらである。
「そういえば喜音君、どこに行ってたの」
「ああ、言ってなかったか」髪の毛を拭きながら喜音が答える。「ダメ虫をしごいてるんだ」
「……え?」
 きょん、と今度は璋子が瞬きをした。
 今、なんと?
「あいつ、この前の戦いで、お前に怪我を負わせたことが相当堪えたみたいだな。自分もちゃんと武器を扱えるようになりたいって言ってきた」
 土下座の話は伏せた。
 とりあえず、家坂(いえさか)のプライドもあるだろう。
「そんな……あれは、私が気を緩めたせいだし、」
「そうだな。及第点はあげられない」
 うっ!と璋子は唸った。
「で、でもさ、誓術の使い方とか、結構頑張って考えたと思わない?」
「だが、結果的にあれじゃな」
「ぐぬっ!」
 厳しい喜音の意見に、しかし、ごもっとだとばかりに璋子は俯いた。
 一瞬の気の緩みで、ひょっとしたら自分は今こうして息をしていなかったかもしれないのだ。それでは意味がない。
 瓶から柄杓で掬って水を飲んだ喜音は、そのままぺたぺた音を立てて璋子に近づくと、腰を下ろし、その額に手を当てた。雨に濡れたからかひいやりしていた。
「……喜音君?」
 手を滑らせ、喜音の顔が近づいてくる。璋子は目を瞑った。
 ごちんと額が触れあう。
「――確かに熱は無さそうだな」
「うん」
「脈も落ち着いてます」
 反対側で様子を見ていたレンが報告をすると、喜音は薄く目を開き、「そうか」と頷いた。
「……た、たらひまぁ……、んぎゃああああああっ?」
 素っ頓狂な声が小屋の中に響く。
 三人で振り返ると、入り口で家坂(いえさか)が目を見開いていた。先ほどの喜音同様、ずぶぬれな上に、衣服が泥だらけであった。
 しかし、家坂は「ちょ、な、んへ」と言葉になっていない。
「いっちゃん?」
「ちょっ、いま、喜音、おま、な」
「は?」
「今!ほし、星屋さんに、な、なにを、!」
「お前は何を言いたいんだ?」
「キヨ兄、お帰りなさい。今、ハル兄はお姉さんの熱を計ってたんですよ」
 ひょこりと喜音の向こう側からレンが顔を出すと、家坂は強ばった顔を緩めた。
「……な、なんだ。レン、居たのか。見えなかったから、俺てっきり」二人が、と言い掛けた唇がわななく。「へっぶしょい!」
「あああ、いっちゃん、ちゃんと身体乾かして。大きな布はちゃんと持ってる?」
「うん、持ってる」
「泥だらけの服は、とりあえず隅に置いてね。できれば洗濯桶の――」
 言い掛ける璋子の手を握って、レンが「お姉さんは、心配しないで横になっててください」と言うと、すっくと立った。
「キヨ兄、衣服はこっちの桶に」
「ふぁーい」
「多分、外に置いてある雨水桶に水が入ってると思うから、それを使っては早めに泥を落とさないと駄目ですよ?」
「ふぁい」
「今、お茶淹れますね。ハル兄も飲みます?」
「ああ、有り難う……」喜音は動き回るレンをみた後、璋子に視線を戻した。「あれは、どっちが兄だ?」
「え?そうだね、……うん、ははは」



 晩御飯を食べ、蝋燭の火が消えかかる頃には、就寝時間がやってくる。むっとした雨と森の匂いに包まれた夜の冷気は、本格的な夏の到来はまだ少し先だと告げている。
 喜音との修練で疲れ果てているのか、早々と眠りについた家坂に並んで、サナとレンも寝入っている。
「じゃ、芯を切るぞ」
 バイスが声をかけると、喜音が「ああ」と頷き、側にいたミモザが一緒にとことこ寝床へと向かう。
 璋子はその音を聞きながら、暗闇になった空間をじっと見つめていた。
 意識がしっかりと自分の中に戻ってきている今だからこそ、改めてあのときの戦いを思い返す。
「……」
 しばらく息を潜めていると、一番端からバイスの寝息が聞こえてくる。問題は隣で寝ている喜音だ。多分、動けば気づかれるだろう。
 そのときは手洗いだと言ってしまおう。璋子は静かに起きあがった。隣に転がしていた二本の杖を手に取ると、三日ぶりに自分の足だけで立ち上がる。
「……っ、」
 くらりと軽く目眩を起こしたが、杖に寄りかかって歩いた。
(これは、……思った以上に、キツイ)
 入り口から外にでると、小屋の中以上に濃密な雨の匂いが立ちこめていた。今は止んでいて、空には五ツ月がぼんやり霞んで浮かんでいる。
 息を吸い込む。
『おい』
「ヤモさん」
『どこへ行くつもりだ』
「どこにも行かないですよ。確かめたいことがあって」
 そう言うとゆっくり歩き、少し幅の広い橋までくると璋子は慎重に腰を下ろした。
『月喰い』
「スロウ?」
 久しぶりに誓霊の声を聞いた。
『これ以上は進むな。体力も戻っていない状態で、この雨林を歩くのは賢くない』
「判ってるよ。ほら、座ってるでしょ?小屋から離れたりしない」それから誓いの輪を握りしめ、目を閉じた。「――コル」
 光が指の合間から零れる。目の前に誓霊の気配を感じた。
 目を開けると、大樹オプターレの中で出会った誓霊が静かに自分を見据えていた。しばらくの間見つめ合ったのち、璋子はコルに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
『何故謝る』
「あの呼び方をされるのは、決して本意ではなかったと思うから」
『……』
「私はもう、貴方を呼び出せてしまう。貴方が嫌がっても、その「術」を「知って」しまった」
『……』
「それはとても暴力的だと思う。しかも私はそれをどうしたって封じることが出来ない」
『そうであろうな』
「コル、貴方の力はとても大きい」
『そうだな』
「本来なら、私はまだ貴方を呼べるような力は持ってなかった」
『潜在的にはあった』
「そうかもしれない。私は月喰いだからね」
『……』
 即答したのが予想外だったのか、押し黙ったコルに璋子は唇を歪める。
「――と、言えば「模範解答」なのかな?でも私は「月喰い」だからっていう言葉を安易に使いたくないや。今、実際に言ってみて思った。……もちろん、「月喰い」であることは事実だけど、でもね……レン君を生け捕りにされる、惨い殺され方をされるかもしれないって思ったとき、怒りで理性を振り切ったのは、「月喰い」じゃなくて、「星屋璋子」だった」
 どんな言い訳も出来ない自分自身の未熟さだった。
 そしてそれ故に、強大な力の誓霊たちを振り回すことすら出来てしまう「月喰い」について、改めて恐れを感じた。
 あの時、トゥルネが顕現し、制御してくれなかったらどうなっていただろう。予測するしかできないが、恐らく今までの自我は悉(ことご)く粉砕していたのではないだろうか。
『……』
「触ってもいい?」璋子が腕を伸ばすと、コルは象の鼻をふらりと揺らして近づける。それを触った。「うん……触ると良く判る。コルの力って、すごく見えにくい」
『そうかもしれぬ』
「きっとそれが貴方の「本質」。でもこうしてコルに触ってるって、きっとその見えにくいコルの力に触れてるってことだ」
『ふむ』
 コルが満足そうに鼻を鳴らす。
「でもね、コル……そう、貴方の力は大きくて見えにくいけど」暗い夜空、雨林の向こう側にある海を見据えるかのように璋子は目を細めた。「だけど「アレ」はもっと、別の意味でやっかいな気がする」
『気づいたか』
「うん」
『そうか』
「……それに、この雨林自体が不思議な気配で満ちてるね」
『……』
 以前、ビブリナの宿で骨董地獄屋の主が「オミクレー雨林には闇がある」と言っていた。その「闇」とはちょっと違う気がするが、どちらにせよ、璋子はここにいずれは来なければならなかった。
 そんな気がした。
(一回、メーターを振り切ったからなのかな……、私の中の「月喰い」の勘が広がってる気がする)
 璋子は自身の胸に手を押し当てた。それは自分を侵食していくのだろうか。それとも自分の一部として備わったのだろうか。
『月喰い、お前はとにかく回復が先決だ。もう横になるがいい』
 スロウが璋子の頬を耳で突いた。
「うん、そうだね」よいしょ、どっこらしょー、と杖で再び立ち上がると、ゆっくり小屋の中へと戻った。寝床を足で探り当て、身を横たえる。「……心配しないで。コルとお話ししてきただけだから」
 そう呟くと、数秒後に頭をぽんと叩かれる。やはり喜音は起きていたようだ。璋子は目を瞑った。一日でも早く回復して動き出さなければ。



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