「月喰い」だからという理由があるだけましなのかも、と。
第百三十四話 侮蔑と怒り



「びゃっくしょ!」
 くしゃみをしながら目を覚ますと、横たわった視界の先に驚いた顔をしてこっちを見ている白い髪の青年がいた。
 誰だろう。
 そういえば、ここはどこだっけ?
 全く回らない頭をギシギシさせながら動かそうとすると、自分の格好が下着だけで、そのうえに布が被されているだけなことに気がついた。
「……」
 確か泉で――脱いで、とんでもない痛みと戦って――サナと一緒だった――そういえば、サナはどこだ。
 視線を泳がせると、男が『もじゃもじゃの女ならお前の背後で死んだように寝ている』と言った。璋子(たまこ)はぎこちなく頷いた。
 しかしその様子を見ると男は途端嫌そうな顔をした。
『――はっ、さすがは月喰い様ってやつか。どんな言語もお手の物だな。こんな隠れた部族の言語もお判りになる』
「……」
 今、男は何と言った。
 緊張していると、男はじっと璋子を睨んだ。そう、彼は何故か自分に敵意を剥き出しにしている。ターシャとは違う、もっと、怒りを感じさせる敵意を。
「私が勉強して理解してるわけじゃないですよ。大神官が勝手に組み込んでくれただけです」
 静かに言うと、ゆっくり――本当にゆっくりと起きあがった。肩の鈍い痛みと四肢の微かな痺れは残っているが、泉の水が体内からごっそりと毒気を抜いてくれたようだ。
 しかし、また毒を抜くことができると言われても、もう二度と同じ目に遭いたくはない。自分でも我慢強い部類だとは思うが、あの痛みはさすがに堪えた。
 璋子は男の側に固まっている自分の衣服をみた。
「すみません、それを取っていただけますか」
『嫌だね』
「……」
『お前の持ち物なんて触ったら、汚(けが)れる』
「……カント」
 璋子が呟くと、誓いの輪から光があふれ鷲が飛び出す。男の顔が途端、こわばった。だがそれを無視して、カントは衣服を風で打ち上げ、緩やかに璋子に向かって放った。
 ぱさりと音がして近くに落ちる。「有り難う」とお礼を言って拾い上げた。
『具合はどうだ』
「うん、四割強は回復してるかな」
『そうか。だが薬もきちんと飲んで、まずは安静にな』
「うん」
 カントと喋っている姿を、警戒しながら見てくる男に目を合わせると、びくりと身体が震えたのが見えた。
『それ、……誓霊か』
「そうです」その後、璋子は冷静な声で言った。「あの、着替えるので後ろ向いててくれますか」
『は?別にお前の半裸になんざ欲情するわけないだろ』
「気分的に落ち着かないといいますか……」
『ふん。お前の気分なんざ俺にはまるで関「カント」』
 突風が吹くと男の身体は軽々と煽られて後ろへ倒れ込んだ。たき火の火の粉が肌にあたって、熱い。
『ばっ、ちょ、なにすん、あっち!やめ、ろ!』
「ごめんね、カント。すぐに着るから」
『早くしろ』
「うん」
 璋子は男の前に立ちはだかるような風を盾にして衣服に袖を通した。肩の部分が血で染まっており、水で洗って、鉤裂きを縫わなければならないだろう。
 せっかく新しく着た服なのに。
 風がやむと男はバネのように飛び上がり、爛々と怒りを灯した目で璋子を睨んだ。
『てっめぇ……それが助けてやった人間への態度か!』
「おあいこです。少し後ろを向いててくだされば良かったのに、人を傷つけるような余計なことを言うからです」
『なんだと……』
「ですが、助けてくださったことは感謝しています。泉に入らなければ多分酷いことになっていました。有り難うございます」
 肩の痛みを堪えつつ、璋子は男に向かって頭を下げた。感謝しなければいけないところは、きちんと態度で示さなければならないと、両親から口酸っぱく教えられてきた。
 顔を上げると、怒りの矛先を失ったのか微妙な顔をしている男がいた。
「星屋璋子(ほしやたまこ)といいます。ご存じの通り、今回の月喰いです」
『……、……っ、ちっ!……俺はカヌエだ』
 名乗られた以上は名乗らなければ気色が悪いのか、カヌエはずいぶんと躊躇った後に返答する。
 カヌエと名前を口の中で転がして、璋子は首を傾げた。
「綺麗な名前です」
『そりゃどうも。お前もキネアサハルと一緒で、どこで切れる名前なんだ』
「星屋が名字で璋子が名前――、喜音君たちは、どこに?」
 急に我に返ったように璋子は辺りを見渡した。
「お前たちは浜辺に打ちあがってて、その浜辺の近くの小屋に運び込んだ。そこで待機してるだろ。ドゥヌハイの雲も落ち着いてきたようだし、数日すれば舟も出せるだろうよ」
「判りました。――サナ、起きて。サナ」
「うーん……」身じろぎしながらサナは璋子の声だと知ると、ばちんと目を開けて飛び起きた。「ちょ、あ、あんた大丈夫なのっ?」
「うん。まだ少しふらつくし、痺れもあるんだけど、ほとんどの毒は抜けたみたい」
「そう。――そう、良かった」
 璋子の腕を握りしめてサナが微笑む。
「有り難う、サナ。助けてくれて」
「たいしたことはしてないわよ。で、カヌエ。とりあえずタマコに煎じ薬も飲ませたいんだけど、またあの小屋に戻るの?」
 後ろで腕を組んで立っていたカヌエに尋ねると、男は面倒くさそうに肩を竦めて見せる。
「あんな粗末な小屋で、その女を寝かせておきたいっていうなら、それでもいいが」
「良くないわよ」
「だろうな」そういうと、カヌエは腰にぶらさげていた羽の束から一枚引き抜くと、両手のひらに重ねて払った。ひらりと舞った羽が次の瞬間鳥になる。璋子もサナも驚いて目を見張った。「おばばに先に言づてしてくれ」
 小鳥はカヌエの周りを二度ほど回ると、そのまま雨林の隙間を縫って、飛んでいく。
「ちょ、なに、あんた、今の」
「あ?」
「今の!何なの、それ!月恨術(げっこんじゅつ)でそんなこと出来るのっ?」
 サナの言葉にカヌエが侮蔑の色を露わにした。
「月恨術?あんなのと一緒にするな」これは、と青年が羽を触った。「俺の部族に伝わる術だ」
「部族に伝わる術……そういうものがあるんですね」
「初めて知ったわ……、ムロ族の血筋なの、あんた」言った瞬間、サナはカヌエに頸を掴まれていた。「ぐっ、!」
「あの一族と一緒にするな。あんな一族と」低く冷たい声に璋子は驚きつつ、慌ててカヌエの腕に飛びついた――が。「触るなっ!」
 振り払われた身体があっけなく地面を滑る。
「げっっほ、タマ、コ!」
 掠れた声でサナが叫ぶ。
「月喰い、触るな!お前など……っ、お前などっ」
 激昂したカヌエと璋子の間に、黒い固まりが飛び出してくる。ふぅぅぅと唸って威嚇する姿――ミモザだった。
「ミモ、ザ……」
「ちっ」荒々しく舌打ちをしたのち、カヌエはそっぽを向いて気を静めようとしているらしかった。「……今から部落に案内するが、これだけは言っておく。誰もお前のことなど歓迎しないし、下手なことをすれば容赦なく殺す。いいな、回復したらすぐに出て行け。それから今後、二度と俺に触ろうとするな。汚れる」
「あんたねぇ!」
「サナ!」璋子は頭を横にふるった。サナはぐっと歯を食いしばり、カヌエを睨んだ視線を振り払うように逸らす。「……判りました。大丈夫です、私の身体が回復次第すぐに舟で出ます。約束します。それから触ることもしません」
「ふん……行くぞ」
 短く言うとカヌエは歩き出す。璋子も立ち上がり、荷物を持つと、足下でくるくると回っているミモザに微笑んで、サナに頷き、一緒に動いた。
「ミモザ、助けてくれて有り難う」
 んーふーふ
 サナは頸をさすりつつ、全く納得いっていない顔で前を歩くカヌエを睨んでいた。
「タマコ、なんであんなやつの言いなりみたいなこと言ったのよ、あんた汚らわしいって言われたのよ?悔しくないのっ?」
「あの場で私とサナ二人とも殺されるより、どんなにかましだよ」
「……」
 璋子も色々と気になることはある。だが、カヌエは璋子を――月喰いをはっきりと嫌悪し、拒否している。
(触ると汚れる、かぁ)
 小さく苦笑いをした。



 浜辺の小屋に戻ると、バイスの膝に乗っていたレンがぱっと顔を上げて駆け寄ってくる。
「お姉さん!」
「レン君」
「大丈夫?大丈夫なんですっ?」
 他の仲間も璋子の様子を見て心配そうな表情をしているので、緩慢ではあるけれど、しっかり頷いた。
「うん。ほとんどの毒は抜けたよ。心配かけて、本当にごめんね。ただ、薬を飲んで少しの間は安静にしておかないと駄目みたい」
「そうか。泉の効果はあったか」
 バイスがほっと安堵のため息を吐く。ミモザはとことこと喜音の側に行くと、丸まって甘えた。
「喜音君、ミモザだけ急に来て吃驚したよ」
「突然飛び出して行ったんだ。お前のところに行ってたんだな」
「ま、ミモザが来て助かったわよねぇ?」
 意味ありげにサナは言うと、違う方向を向いてまるきり無視しているカヌエを睨む。
「でね、安静にするためにカヌエさんの住んでいるところで静養しようって話になって」
「荷物を持ってついてこい」
 璋子の言葉に被せるように言うと、カヌエは入り口から出て行ってしまう。慌てて仲間は荷物を持ち、たき火に灰を被せて消しにかかった。
「お姉さん、本当に苦しくないんです?」
「うん、大丈夫。有り難う」
 レンは大きな目で璋子を見つめた後、きゅっと唇を引き結び、その手を握りしめて頸を振るった。
「だけどいつもよりずっと元気じゃなさそうです。無理は絶対に駄目です。――キヨ兄(にい)」
「ん?え?……お、俺?」
「お姉さんを負ぶってあげて」
「え、あ、俺が?」
「だ、大丈夫だよ、レン君、心配しないで」
 ぱちくりと瞬きをした璋子に、しかし喜音が近づいて頭を叩いた。
「負ぶってもらえ。というか、お前のその不調の原因の一端はあいつも関わってるんだからな」
「でも、」
「星屋さん、負ぶうよ」家坂が背中を向ける。「別にこれでチャラにしてもらおうとか思ってないけど、でも出来ることはしたい」
「……」
「使っておけ」
 喜音が璋子の背中を押す。困ったように頬を掻いたのち、璋子はぺこりと頭を下げた。
「有り難う、いっちゃん」
「荷物はこっちに頂戴」サナはスロウバッグを肩に掛け、自分の荷物を背負った。「レン、こっち来なさい」
「はい」
 サナの側にレンが寄ると、バイスは頷いて、先を歩いていくカヌエをみた。
「さて、俺たちも動くか」
 カヌエの足取りは確かだったが、雨林を歩きなれていない一行は足を滑らせたり、背の高い草に隠れた根っこに蹴躓いたりと、なかなか前に進まなかった。
 怒鳴られるのではないかと思っていたが、カヌエは少し引き離されると立ち止まり、何も言わずにじっと待っていた。
 どことなくその様子は人と言うよりも獣のようだった。
「……スロウ?」
 頭に乗っかっていた誓霊の様子に、どことなくいつもと違うものを感じて、璋子が声をかけるが、返事が戻ってこない。
 どうかしたのだろうかと思いつつ、ほかの誓霊の気配を探ってみると、確かに誓いの輪の中に感じられるものの、いつもよりもずっと息を潜めているような気がした。
(カヌエさんが月喰いを嫌がっているからなのかな……)
 しかしそのことについて尋ねても誓霊たちはきっと何も言わないだろうことは、今までの経験則から判っていたことだったので、璋子は目を瞑り、少し眠ることにした。
 夢の中で、璋子は不思議な「声」を聞いた。
 それは小舟で波間をさすらう中、深い場所から聞こえていた「声」だった。
(ひょっとして……)
 うと、うと、う、と、と意識が下がっていく。
(ターシャさん、どうしただろう、……あのあと)
 コルの誓術がどれほどの威力なのか、実は璋子はあまり把握していない。発動させたとき、確かに自分の意識はあったが、かろうじてあったといったほうが正しいような状況だったからだ。
 ただし、コルの色は覚えているので、体力を回復したら呼び出して、修練しておく必要はあるだろう。
(私が、きちんと誓術を行使することは……、とても大事な、こと)
 それはセギュランテの杖にとってもそうであるし、自分を、仲間を守ることにも直結する。
 しかし何故、あのとき意識が飛んだのだろう。自分であって自分でないような感覚だった。
 それを「怖い」と覚える前に、自分のことですら何が起きるのか把握できていないことに、素直に驚いている自分がいることを璋子は自覚した。
 そこで意識は完全に眠りへと移行された。



 仲間の中では先頭を歩いていたバイスは、カヌエの歩いていく先、雨林の間から家のようなものが見えたことに気づいた。
「あそこか」
「そうだ」カヌエは振り返り、バイスに薄い笑みを見せる。「お前の髪の色、歓迎されないから気をつけろよ」
「……判った」
「わぁ」
 サナと手を繋いで歩いていたレンが見上げて、歓声をあげた。同じように隣でサナも一緒に見上げている。
 カヌエの住んでいる部落は、背の高い熱帯雨林の木と木の上に作られ、家同士は縄や木で組まれた無数の橋で繋がっていた。
「うお、これって超巨大ツリーハウスじゃん」
 家坂がピュウと口笛を吹く。
 カヌエはもう一度皆を振り返ると、手で動きを制した。
「おばばを迎えに行ってくる。そこで待ってろ。動くなよ」
「判った」
 バイスの言葉を聞いた後に、カヌエは身軽に立てかけていた梯子を上っていく。
「世界は広いなぁ……こんな場所もあるなんて」
「キヨノ、そんな暢気なことをここで言わない方がいいわよ」
「え?なんでさ、サナちん」
「……あいつ、タマコが月喰いだって知ってる。さっき泉のところで……この子に酷いこと言った。どうやら相当に月喰いが嫌いみたいね」
「確かに、あいつの態度は珍しいな」喜音がぽつりと呟く。「今まで旅してきた場所では月喰いなんて存在してるのかすら理解していない人が多かったし、事実を知っても驚くことはあれど、敵意剥き出しになるまでには至らなかった」
 もちろん、ヌハを生け捕りにしようとする誓王側の手の内の者であれば、態度もまた違うだろう。だが、それであったとしても、浜辺で最初に感じたカヌエからの気配は――異質だった。
「……あいつ、月喰いについて何か知ってるのかもな」
「あいつが?いったい何を」
 家坂の言葉に喜音は冷めた目で見やった。
「知るか、ダメ虫」
「ダメ虫っ?阿呆虫より格下がってないっ?」
「それがなにか?」
「ぎゃっひ!」
「あ、」レンが声を上げた。「あそこ」
 それにつられて、皆が顔を上げると、先ほどカヌエが上っていった梯子の上に、大柄な老婆が立っていた。その隣にはカヌエが立っている。
 どうやら、彼女が「おばば」のようだ。



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